2.先輩の退職

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【立ち聞き】 今月は規模の大きな会議が予定されていて、事務方の私たちも含めてその準備のために連日残業が続いていた。 ようやく資料用のデータが出そろったのは、会議の前日。私は、コピーとそれを取りまとめる作業を任された。 けっこうなコピー量になりそうだったが、作業自体は単純だし会社のコピー機は性能もいい。久しぶりに今日は早く帰れるかもしれないと、小さな期待を抱いた。 データを出力しようとして、私はコピー用紙の在庫がふと気になった。 途中で足りなくなったら面倒だ。念のため、少し余分に準備しておこう。 そう思った私は台車を引っ張って、同じフロアの最も奥まった場所にある、みんなが「倉庫」と呼ぶ部屋へ向かった。 分厚い自動ドアを入るとまた扉があって、そこを入ってすぐの棚に文具や資材などの在庫が置かれている。さらに奥にも扉があって、その向こう側には過去の資料や書類が保管されていた。 足を踏み入れた倉庫の中は、しんとしていた。床一面には靴音さえも吸収する毛足の短いカーペットが敷かれていて、人の気配が感じられない倉庫の中は静かすぎるほど静かだった。その静寂に声を出すのがなんとなくはばかられて、私は心の中でつぶやきながら目的の棚を探す。 A4のコピー用紙は……。見つけた。 それは一番奥にあった。 台車を近くまで寄せようと考えた私は、一度扉の所まで戻ろうとした。その時微かに話し声が聞こえて、反射的に背後を振り返る。 誰かが入ってきた様子はなかったと思う。これだけ静かなのだから気配に気づかないわけはない。ここはフロアの廊下のいちばん奥まった場所にあって、基本的には用事がある人くらいしか来ない。そして今、この部屋にいるのは私だけのはずだ。と、そこまで考えてはっとした。 もしかして、先客がいた? 私は息を殺して、耳に神経を集中させた。すると、奥の部屋の方でぼそぼそと話し声がしていることに気がついた。それはおそらく、男性と女性の二人。 ひと気のないこの場所で、一体どんな話をしているのだろうと気になった。しかし、この場を早々に離れた方が良さそうだと思った。こういうシチュエーションすべてがそうではないだろうが、もしも人目を忍ぶような場面に遭遇したのだとしたら、見ざる聞かざるがきっと正しい。
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