213人が本棚に入れています
本棚に追加
「悪ぃ、翠。遅くなった」
仕事を終えて帰宅した翼は、着替えもせずに兄の部屋に直行した。
扉を開いた瞬間、蜜のような甘い香りが鼻腔を襲う。室内に充満する蠱惑的な匂いの元に視線を向けると、ベッドの上に翠が横たわっていた。翼の衣類に埋もれながら、潤んだ瞳でこちらを見上げている。それだけで、一気に体温が上昇した。
「おかえり。……あー、駄目だ。翼が入ってきただけでこれかぁ」
ぎゅう、と体を縮こまらせ、翠は困ったように眉を下げる。
「あのさ、今回のヒート、いつもよりきっついかも」
「安心しろ、きっちり付き合ってやる」
「……それ、俺が明日立てなくなるって意味だよな?」
「珍しく巣作りまでしてる翠を前にしてんだぞ? 我慢なんてできるわけねぇだろ」
「っ、これは、翼が待たせるから……!」
不本意だ、と頬を赤らめて拗ねる翠に近づきながら、翼はやたらと乾く喉を自覚する。不在の寂しさを埋めるため、そして安心を求めるために翼の衣類をかき集めた……そんないじらしい番相手に早く触れたくて仕方がない。
そう、翼と翠は番だ。
翠の第二の性はβではなくΩであり、血の繋がった双子同士が番っている。これが、真堂家が隠している最大の秘密だった。
(しっかし、相変わらず強烈だな)
αである翼の劣情を暴力的なまでに煽るフェロモンを、Ωの発情期に入った翠が発している。気を抜けばすぐにでものし掛かりそうになる衝動をぐっと堪え、翼はそっとベッドに腰掛けた。
翠が、何かに耐えるように大きく息を吐き出す。おそらく、翼から出ているフェロモンが原因だろう。
ヒートに当てられたαが、欲したΩを絡め取るために発する匂いがある。そちらも、いま自分が感じている香りに匹敵するほど、強い興奮作用があると聞いていた。
逃がさないよう、互いに互いを雁字搦めにしようとしているのだ。
(もう番ってんのにな)
うなじを噛み噛まれたαとΩは、番となった相手のフェロモンにしか反応しなくなる。
既に、自分たち専用の匂いに変化しているというのに、未だ繋ぎ止めるための手段として惜しみなく使っているわけだ。本当に、どこまでも貪欲な本能だと呆れてしまう。
それとも、元々の独占欲の強さが番の関係にも影響しているのだろうか。
(だって、俺だけの翠だ)
体の奥の奥まで相手を受け入れ、その快楽に泣いて善がる片割れは、生涯自分だけのものだ。他の誰にも見せたくないし、見せるつもりもない。
(早く、ぐずっぐずにしてやりてぇ)
けれど、まだ溺れるわけにはいかない。必ず確認しなければならないことがある。
「翠、仕事は?」
「早めに進めてたから、大丈夫。明日は会議もないし、最悪、一日くらいは滞っても平気」
「なら、明日は病欠にしとくぞ。薬は飲んだか?」
「どっちも飲んだし、お前の分、水と一緒にそこに置いてるから。……っ、あーもうっ、つばさ、はやく……っ」
下腹部をさすりながら辛そうに訴えてくる翠の額に、褒めるためのキスを贈る。それから、彼の指差した先に置かれていた二種類の薬を口に放り込み、勢いよく水で流し込んだ。
行為の最中に使う必需品も、サイドチェストの引き出しから取り出しておく。
我慢するのもさせるのも、ここまでだ。
「待たせて悪い。ちゃんと、満足するまで抱いてやるから」
ジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを乱暴に引き抜きながら相手の体に覆いかぶさる。柔らかな髪を撫でてやれば、普段は明るい光を宿す翠の瞳がとろんと欲に蕩けた。
彼の目に映り込んでいる自分も、熱に浮かされたひどい顔をしている。
「俺も満たしてくれよ、翠」
獲物を狩る獣のような笑みを浮かべた翼は、双子の兄に噛みつくように口づけた。
◆◆◆
始まりは、十五歳の夏休み。
海外出張のために両親が一週間ほど家を空けていた、ちょうどそのタイミングで翠の初めてのヒートがきたことがきっかけだった。
最初のコメントを投稿しよう!