行くべきか、行かざるべきか考えよう

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「あれはお前の太陽の馬車ではないか。何故にお前が乗っておらん?」 太陽神ヘリオスは重い口を開き、大神ゼウスに事情の説明を行った。 何と言う愚かなことを…… 大神ゼウスは従兄弟の太陽神ヘリオスの失態に呆れた。 人に限らず、同胞の神々にも被害が甚大であることから事態の収拾を行うのも全知全能たる大神の役目。大神ゼウスは雷霆を手に取った。 「従兄弟の幼き子であろうと容赦はせぬ!」 雷霆が空を切り、太陽の馬車の御者席で泣き叫びながら助けと許しを懇願するパエトンの元へと向かう。 雷霆はパエトンの全身を貫いた。痛みや痺れすらも感じさせない即死であった。 全身を雷霆に焼かれ炭のカスと化したパエトンは御者席から真っ逆さまに赤く輝く流れ星のように落ちていく…… 落ちた先は、太陽の馬車の暴走から生き延びた大河エリダノスであった。大河エリダノスは川神で、川の神様は総じて慈悲深いとされている。 燃えるその身を冷やしてやることこそが、パエトンが最期に受けた慈悲である。 御者をなくした太陽の馬車は何ごともなかったかのように、ヘリオスの神殿へと戻って行くのであった…… この悲劇以降、太陽の馬車は太陽神ヘリオス以外が乗ることは許されなくなった。 それこそ、ステュクス川に誓う約束であるために決して破られることはない。 太陽神ヘリオスは未来永劫、太陽の馬車で蒼穹を疾走(かけ)ることを約束されたのである。 何がこの悲劇を引き起こしたのだろうか。 パエトンがクリュメネの言葉を信じ、エパポスとその友人達の煽りに負けずに「俺は太陽神ヘリオスの子である」と信じることが出来ていたならば「そうだ、パパのところへ行こう」とはならず、太陽神ヘリオスと会うことは出来なかったにせよ、幸せに暮らすことが出来ていたかもしれない。 パエトンが太陽神ヘリオスの言うことを聞き、太陽の馬車の手綱を握り立っているだけであったとしても悲劇は回避出来ていただろう。「そうだ、あいつらの元へ行こう」と、手綱を引いて不要な指示を出し、四頭の馬が暴走する切掛を与えたのも原因の一つだろう。 この二つは、いずれもパエトンの「思いつき」からくるもの。 雷霆の如き閃きに頼らず、どこかに向かう際には予め熟慮し考える必要があるのではないだろうか。 今はコーカサス山にて磔刑に処されているプロメテウス(予め考える神)のように、考えることさえ出来ていればと思わずにはいられない。                            おわり
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