四話

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四話

「秋に山に入ってはいけないよ」 「なんで?」 「神様が山をお通りになる。神様がそばへ来た時に頭を下げていないと、何かを持って行かれてしまうのだ」 「何かって?」 「そうだな、よくあるのは聴力だ」  忠之は幼い征司の小さな耳たぶをもちもちとつまんだ。くすぐったくて征司はきゃっきゃっと笑い、年老いた神主も笑った。  征司は拝殿の軒先に寝転がり、板の間に両肘をついて忠行のことを見上げた。 「なぁなぁじいちゃん、神様はどんな見た目なんだ?」 「神様は人ではない。我々の目で見ることはできないよ」 「じゃあどうしたら神様がいるって分かるんだ?」 「気配だよ」  彼が答えた瞬間、静かな風が二人の前を通り過ぎる。  忠之は見えないそれにふれるように、シワだらけの手を空中にかざした。 「楽器の音色が聴こえたり、なまあたたかい風が吹くのだ。神様が通られるとその近くの草木がなびく。普通の風に吹かれたのとは違う動きだ」 「へぇ~。その神様たちに俺も会ってみたいなぁ」 「それは難しいかもしれんなぁ……」 「じいちゃんは会ったことあるのか?」 「いいや、無いよ」  征司は仰向きになって空を見つめた。  自分たちが見ることのできない神。彼らは一体どんな姿をしているのだろう。想像しようとしたがうまく頭の中で思い描けない。  忠之は傍らに立てかけてある竹ぼうきを手に取った。ゆっくりと立ち上がり空を仰いだ。 「神様ではないが、我々が会えるかもしれないものが山にいる」  忠之は振り向き、征司の頭に手を乗せた。征司は立ち上がり、その場でぴょんぴょんと跳ね上がった。 「それって誰なの?」 「山姫(さんき)だ。艶やかな長い髪を持ち、色白で、十二単に緋袴をつけた美しい娘だ。もし会ったら彼女より先に笑わなければいけない。もし先に彼女が笑顔を浮かべたら、首から血を吸われてしまうのだ。その場から生きて帰れたとしても、近いうちに命を落とすかもしれない」 「ひっ……」 「ただし山姫の場合は姿が見えるからまだいいだろう? もし姿を見て先に笑われたとしても、にらみつければ去っていく。若者の方が遭遇しやすいと聞いた」 「おっ……俺、山になんか入りたくねぇ!」  征司は震えながら必死に首を振り始めた。恐怖にとらわれた様子に、忠之は”おいおい……”と幼い少年を諌めた。 「生きている以上、そういうわけにもいかんよ。山の中で古風な格好をした娘を見たらとりあえず気を付けなさい。山賊より恐ろしいかもしれないから」 「うーい……」  生まれ故郷を出発してから三日が経った。  時々遊びに行った町、寝転んで空を見上げた野原。それらに別れを告げながら通り過ぎていく。  まだ旅は始まったばかりだが、野宿をしたり自分たちで食事を用意するという初めてのことたくさん経験した。  三人とも外で生活をしたことはなかったので慣れないことばかりだが、楽しんでいた。  最初の目的地に近づいてきた一行は小さな山の麓で、たき火に当たりながら魚の塩焼きにかぶりついていた。  串刺しにして焼かれた川魚は、昼間にサスケが素手で捕ったものだ。彼が自然の中でいきいきと動いている様子は山の中で育った少年のよう。  征司は木がはぜる音に癒されながら、ゆらめく炎を見つめた。  少年というより青年と呼ぶのがふさわしい若い男が、三人の若い旅人たちの寝顔を見つめて吹き出した。 (故郷を離れてこんなところで……山賊にでも襲われたらどうすんだ)  もっとも、この山には山賊よりも厄介な人外が出るのだが。  彼は狼の尾のような細長い黒髪を胸元まで垂らし、簡素な着物姿で袖に手を入れている。  特に間抜け面の少年のそばにしゃがみ、額をつついた。だが反応はない。そういえばこの少年は、一度寝てしまうと自力で目覚めない限り決して起きない人間だった。 「ん……兄貴……?」 「あ、おはよう」 「はよざまっス────って誰!?」  一番最初に目を覚ましたのは小、柄で少女のような少年だった。  彼は青年の姿を見るなり跳びあがり、小紅の前で腕を広げた。振袖のように長い袖が気になったが今はそんなことはどうでもいい。 「俺はこいつの昔馴染みだ。起きたら聞いてみな」 「お……俺は兄貴のことを昔から知ってるっス! あんたのことなんか知らないっスよ!」 「なんだその話し方…。まぁいい。お前、見た所こいつより歳下だろ。俺がこいつとよく会ってたのはお前が生まれる前かもしれんぜ、おチビちゃん」 「チビとは何っスか! さすがの俺も怒るっスよ!」 「朝っぱらから何騒いでんだよ……」 「兄貴! 変な男が! 兄貴の知り合いだとかほざいてるっス!」  よろよろと起き上がった征司の頭は爆発していた。  目をこすり、すぐ目の前にいる自分と額がぶつかりそうになって目を見開いた。驚きのあまり、今ので一気に目が覚めたようだ。 「きょ、京弥(きょうや)!? お前、京弥だろ!」 「おう、久しぶりだな」  この中で最年長に見える男────京弥は、片頬を上げて征司の肩をポンポンと叩いた。 「兄貴……こいつ誰っスか?」 「俺としてはお前が誰なのかも知りたいところだね」 「こいつ……!」 「ちょっ……やめろ……こらサスケ! 魚刺してた枝を構えるな!」  一触即発────というよりはサスケが暴走しそうなのを止め、征司は京弥の隣に立って肩を組んだ。 「京弥は俺の幼馴染だ。サスケがうちに来る前に彼の両親と村を出たんだ」 「よろしく」 「うっス……なんかさっきはすみませんした……」 「いやいいんだ。俺も口が悪いところがあるから」  二人は和解(?)すると握手を交わした。この二人とは切っても切れない縁を持っているのだろう。征司は満足そうにうなずきながら見守っている。  最後に小紅を起こし、四人で簡単に朝食を済ませた。 「京弥の兄貴はいくつなんスか?」 「今年で17」 「大人っスね~……それと顔が整っていてうらやましいっス!」 「そうなんだよ、京弥はよくおなごから恋文をもらっていたんだよな」  京弥は自分が持っている干し肉を噛みちぎりながら苦笑いをした。  京弥の切れ長の赤い瞳は柘榴(ざくろ)石のよう。スッと通った鼻筋や薄い唇は、気を抜いたらぼうっとしそうなほど均整がとれて美しい。京弥は咀嚼した干し肉を飲み込んで肩をすくめた。 「全く女ってのは……ちょっと顔がいいだけであれだ。ホント、いい迷惑だよ」 「なんとなく分かるような癪なような……」 「サスケ、真面目に聞かなくてもいいよ」 「おっと、相変わらず手厳しいな」  男三人で話している中、ずっと黙っていた小紅が苦々しく口を開いた。ぶすっとした表情で握り飯をかじっている。 「あんたのことを好いている女の子に不誠実な態度を取ったこと、私はちゃんと覚えてんだからね。あのコたちに謝らない限り絶対許さないから」 「はは、謝ることはねーな。あの村に帰る気はないから」 「……あんたなんかいつか女に恨まれて刺されたらいいのに」 「こーべに! ここで過激になるのはよそ? な?」  沸々と怒りを沸かせる小紅と、涼しい顔の京弥の間に入り込むと征司はたしなめた。  彼女は蔑んだ表情で京弥を睨みつけていたが、顔を真っ赤にしておしだまった。 「も相変わらずだな……」 「ん? どうした?」  征司が振り向くと、京弥は片方の口角を上げて目を細めた。 「まぁまぁ、小紅に聞いてみろよ。てかお前も相変わらずだな……」  その瞬間に小紅の平手打ちが飛んできたがすんでのところで手で制した。 「ほう? お前たちも旅に出たのか」  朝食を終え、征司と京弥は近況を報告し合った。何年も前に別れて以来、こうして話すのは随分久しぶりだった。  征司は荷物を風呂敷の上に乗せるとささっと包んだ。 「おう、じいちゃんから聞いた伝承をこの目で確かめに行くんだ」 「お仲間ぞろぞろ引き連れて……お前らしいよ」 「俺が巻き込んだんだ」 「俺は巻き込まれたなんて思ってないっスよ! むしろ本望っス!」 「私だって嫌じゃないもん……」  その様子に京弥はかすかにほほえんだ。 「お前は本当に変わらないな……そりゃ二人が喜んでついてくるわけだよ」 「京弥は今は何してるんだ?」 「今は一人で全国を回ってる。今はこの先の村に滞在してんだ」 「もしかして鹿子(かのこむら)村?」  彼がうなずくと、三人は顔を輝かせて見合った。彼らの最初の目的地の名前だ。 「なぁなぁ、京弥さえよければ案内してくれないか? ここで再会したのも何かの縁。まだいろいろ話したいこともあるし」 「別にいいけど……お前の初めての旅を人任せでいいのか」 「えっ? そんな厳しいこと言ってくれるなよ……」 「旅人の大先輩からの助言だ」  京弥が腕を組んで片目を閉じると、小紅が唇を尖らせた。京弥が話したことよりも、彼の仕草の方が気に食わないらしい。 「それで鹿子村になんの用が────頭を下げろ!」 「は……?」 「早く! いいって言うまで上げるんじゃねぇぞ」  突然顔を険しくさせ、京弥は地面に跪いた。頭を下げ彼のこめかみには汗が浮かんでいる。  彼の尋常ではない様子に征司たちも地面に膝をつき、正座をして三つ指を突いた。  頭を下げた征司は、驚きと緊張で心臓をバクバクといわせていた。こんな緊張感を味わったのは初めてだ。 (いよいよ旅が始まったって感じだな……)  村にいた頃はこんな刺激はなかった。  隣では小紅とサスケも同じように正座をして地面を見つめている。  一体何が起きるのか……と征司は頭を上げたい衝動に駆られた。それと同時になまぬるい風が吹き始め、彼の頬をなでる。 (この感覚────!)  感じたことはないが知っている。脳裏に優しい老人の声がよみがえり、不覚にも目に涙を浮かべた。  そして太鼓や笛の音がかすかだが聴覚に引っかかった。町にいた旅芸人が奏でていた楽器よりも厳かな音色だが、それでいて軽快な旋律だ。状況が違えば演奏を楽しむ余裕があったかもしれない。  征司はうっかり頭を上げてしまわないようにこらえ、”もう大丈夫だ”と京弥が息を吐いたのに合わせてゆっくりと顔を上げた。顔をかくフリをして涙を拭いながら。 「っはー。びっくりした……」 「神々がお通りになったんだよ。俺がいなかったらお前ら全員、耳が聞こえなくなっていたかもしれねーぞ」 「そうか……さっきのが神様が通られた時の感覚なのか……」  征司は自分の頬にふれ、さきほどの風や楽器の音色を記憶に焼き付けた。きっと次は大丈夫だ。 (じいちゃん……俺、とうとう来たよ)  心の中で忠之に語りかけた。ここで京弥に引き合わせてくれたのは、彼のおかげかもしれない。征司は手を合わせて目を閉じた。 「びっくりした……私たち、知らずにここで過ごしていたんだね」 「な。たまたまとは言え京弥がいてくれてよかったよ────って、サスケ。いつまで頭下げてんだよ」  サスケは未だに地面に三つ指をついている。話しかけても反応が無いので征司が腕を掴んで立たせると、大層驚いた表情をしていた。 「どうしたんだよ、驚いて声も出なくなったのか?」 「兄貴、なんスか? もっと大きい声で話してほしいっス!」 「いやこの距離で?」 「ん……? ちょっと待て。こいつは字を読めるか?」 「え? あぁ」  征司がサスケの耳元で声を出そうとしたところを、京弥は肩を掴んで引き離した。そして地面に木の枝で何やら文字を書き始めた。  書き終えるとサスケに読ませ、彼がうなずくとその頭をはたいた。 「このバカがっ……頭を上げるなとあれほど言っただろ!」  彼の怒号に征司と小紅は飛び上がった。二人は地面に書かれた文字を読むと顔を青ざめさせた。 「サスケ……本当に何も聞こえないの……?」 「そうだ。このバカは神に聴力を取られちまったんだ」  聴力を失ったサスケが小紅の声を聴けるわけがなく、代わりに京弥がうなずく。彼は整った顔をゆがめ、額を押さえて舌打ちをした。
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