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利用されていたのだな。一也は思った。それを見透かしたように、女は口を開く。
「わかっていたわ。私は騙されていたの。でもね、私は騙されていたかったの。彼を愛しているのですもの。
今までも、これからも、人をこんなにも愛せるなんて絶対にないわ。後悔なんてしていない」
人目を偲ぶ関係らしい女が、初対面の一也にこんな告白をするのが不思議だった。
「おやすみなさい。お風呂で転ばないようにね」
女の姿が消えていく。扉の閉じる音が聞こえ、鍵を掛けている音が聞こえた。
あの女は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。人しれぬ恋を。誇らしい愛を。たとえそれが砂上の楼閣よりももっと脆いとわかっていても、彼女は手放せなかったのだ。
間違いだと気づいていても、本人が幸せだというのなら、他の誰が咎められようか。
たとえ一時であろうと幸せだった女が、一也には羨ましく思われた。
彼女は生きていく。過ちを幸せな思い出に変えて。
死ぬこともできぬ一也よりもずっと、幸せなのだ。
この部屋の主はもう、二度と帰って来ない。しかしどこかで、一也を見ているのだ。
生きている以上、一也にはすべきことがある。まずはシャワーを浴びる。そして眠る。考えるのは目が覚めてからでいい。
今は心と体の不快を取り除くために、本能だけで動こうと決めた。
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