文化猫

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「深川くんー!」  ビクッと体が跳ねる。後ろを振り返ると大山さんが大袈裟に手を振ってアピールしている。生垣をもう一度見返すと、三毛猫はもう何処かに行ってしまっていた。 「そんなとこで何してるの?」 「あ、えっと……コンタクトレンズ落としちゃったんです!」 「……ドジだなあ」  何故か安堵している心を必死に押し隠して、寄ってきた大山さんと一緒に存在しない架空のコンタクトレンズを探した。二人の指先は微かに悴んで赤く色付いていた。申し訳無くなって安物なので大丈夫と告げると、シャトルランの要領でアスファルトで舗装された道の上を走りコンタクトレンズを踏み潰そうとした。僕は止めようとしたが、笑ってそのまま様子を眺めていた。 「本当可哀想だなあ。……そうだ、お姉さんがお菓子をあげよう。おいで」  三日月は薄い雲に隠されて、僕達を照らしているのは遠くにある地面に取り付けられた街路灯だけだった。ジーンズのポケットから取り出した物を確認しようと距離を詰める。  僕は、強く抱き締められた。 「捕まえた。この大嘘つきめ」  柔らかな感触に包まれて思考がほどけていく。まるで匂いを吸われている様な、それでいて注意深く観察されている様な気がして、変な汗が出てくる。 「深川くんは隠し事する時に口元を触るんだよ」 「あ、あの……」 「君と違って、私は手段を選ばないんだ」  心臓の鼓動が徐々に強くなって相手に聞こえてしまうかもしれない。指先に熱が通い、頬が呆気なく朱に染まる。これは、多分━━━━━━ 「君は本当に面白くて、可愛いね」  耳元で囁かれて思わず抱き返そうと咄嗟に手を動かすが、腹を押されて離されてしまった。そのままの勢いで店内に戻っていく大山さんをその場で見つめる。触れられた熱がまだ体を覆っていて、秋の寒風すら何も思わない程の衝撃だった。 「私を撫でたいなら、もっと頑張ってね」  去り際、猫の様に嫋やかに大山さんは微笑んだ。僕が猫を撫でられる様になるにはどうやらまだ時間がかかるらしい、とぼんやり思った。  一緒に過ごして、ゆっくりと関係を構築していくのがきっと最善だろう。気紛れで掴み所のない人だけど、文化猫という猫カフェ(ケージ)の中で一緒に過ごしたから、当たり前だけど絶対に信じられる事がある。    明日も明後日も、文化猫には猫山さんがいる。
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