男運がない ②

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男運がない ②

獣人の、獣人による、獣人だけの世界に、私が迷い込んだのは4歳の時だった。 なぜ、なんて分からない。 気付いたら知らない場所に居て、泣いてるところを立派なうさ耳を頭に生やしたおじーさんに保護されていた。 それから10年。 幼い時にこの世界にやって来た私は、人間世界のルールよりも獣人世界のルールの方が馴染み深い。 獣人には番という運命の相手がいた。 獣人の誰もが番に憧れを持っている。 しかし番はそう簡単に見つかるものじゃない。 番を求めて独身を貫く獣人が増えた弊害で、極端に子供の数が減った現在、法律で20歳になれば結婚する義務が国民に課せられていた。 保護してくれたおじーさんのお孫さんが、来週その20歳を迎える。 番は見つかっていない。 私は複雑ながらも喜ぶ気持ちを止めれなかった。なぜなら、番が見つからなかった場合、彼と結婚する約束をしていたから。 私と彼は兄妹のように育った。 優しく、穏やかで、面倒見の良い義兄を好きになるのに時間はかからなかった。 彼の願いが叶わなければ私の願いが叶う。 番探しを応援するフリをして、見つからなければいいと、心の中で念じていたからバチが当たったのかもしれない。 結婚式の前日に、彼は番を見つけた。 幸せを目前にして、私は彼を失ったのだ。 番至上主義が根付いた獣人世界では、結婚してても相手に番が見つかれば祝福する。 間違っても、引き止めたり縋ったりしないのが常識で、喜んで身を引くのが当然だった。 私達はまだしていない。 していないけど、幼い頃から知る仲である。 彼も彼のおじーさんも周囲の全ての者が皆、私からの祝いの言葉を待っていた。 当たり前として。 それ以外はありえないとして。 私は、笑えているだろうか。 震えずに、おめでとう、と言えただろうか。 次の日、私は黙って家から出て行った。 彼と番が微笑み合う姿など見たくない。 家族になっていくのを受け入れる自信もない。 ここにいたら、それを見続けるだけじゃなく、心にもない祝福を強要されることになる。 人間である私と獣人との温度差についていけなかったのだ。 もう誰も好きになりたくない。 生きていたくもなかった。 誰も私の気持ちに寄り添えない。 番が分からない私には、ただの1人も。 獣人世界から弾き出された疎外感は失恋の痛手もあいまって、私を死へと導いていく。 衝動的に崖から飛び降り、これで楽になる、元の世界に帰れる、と思っていたのに。 運悪く、空を飛べる獣人に助けられていた。 自殺を試みた私に同情したのか。 空飛ぶ獣人 ( 鳥人かもしれないが ) は、自分の巣に私を連れ帰ると、気の済むまでここで暮らすといい、俺は別に住処を移すから、と無表情で有難い申し出をしてくれる。 地面が遥か下にある木の上の巣。 そこで何年か過ごした。 食事は定期的に彼が運んでくれるし、他の獣人に会わないので精神的にも落ち着いている。 そうなると、人間不思議なもので、あれだけ疎んでいた人との交流が恋しくなってきた。 ここに来るのは家の持ち主である彼しか居ないため、必然的に彼と話すことが増えていく。 自分のことを話した。 相手のことも聞いた。 そして、お互いが心に傷があることを知った。 彼は数年前、番を見つけたらしい。 この巣は番を迎えるために作ったけれど、彼の番はやって来る前に病気で亡くなったそうだ。 番を失った獣人は悲しみのあまり衰弱死することもある。 彼は生きているが、辛い過去に泣く事も、怒る事も、悲しむ事もなく、感情を削ぎ落とした表情が心に負った傷の深さを表していた。 番を見つけた獣人は、その生死を問わず義務から解放される。 中年期に差し掛かる彼に伴侶がいないのは、そういう理由からだけど、1人よりも誰かと一緒に過ごした方が精神的に安定すると思うのに。 たとえば私とか……。 と考えて、ハッとなる。 この思考は人間特有のものなのかもしれない。 私は彼に傷を癒やされている。 癒やされたから、彼といたいと思っている。 好き、という激しい情熱はないけれど、傷がブレーキ役を放棄すれば、いつかそれに変わる確信めいたものはあった。 でも獣人はそうじゃない。 番至上主義で、番以外に熱くなることはない。 望んでも、求めても、またダメならば……いや、彼に番はもういないのだ。 脅威となる人がいない現実に、私はまたしても夢を見てしまった。 貴方の中に番がいてもいい。 忘れなくていい。 だから私とこの先の人生を共にして。 思い切って告白した。 彼は相変わらずの無表情だったけど、悩む素ぶりもなく、いいよ、と即答する。 嬉しかった。 彼にとって番がいない今、誰と結婚しようがどうでもいいことだとしても。 彼の心は揺さぶれなくても、あの疎外感から解放されることや、傍にいる権利を貰っただけで充分だったのだ。 なのに。 彼はいなくなってしまった。 番を見つけた、と言って飛び去っていったのだ。 意味が分からなかった。 なんで? 亡くなったって言ってたじゃない。 嘘だったの? 騙されたことに混乱していた。 そんな人じゃないと思っていた。 泣いて泣いて泣いて。 過去の傷まで疼き出して。 悲嘆に暮れて過ごしていたある日。 彼は前触れもなく帰って来た。 満面の笑みで。 腕の中に赤子を抱いて。 何日も来なくてすまなかった。 番が産まれ変わったんだ。 幼すぎるから番の両親と少しだけ揉めてしまったが、こうして無事迎えることが出来たよ。 何を言ってるのだろう。 早く祝福しろ、と言わんばかりに期待に満ちた目でソワソワと羽を波立たせている。 産まれ変わり? 何それ。 そんな事ってあるの? そんな事までこの世界の常識なの? というか、貴方のそんな嬉しそうな顔初めて見たんだけど。 心が悲鳴を上げている。 苦しくて苦しくて息もしづらいのに、彼は容赦なく喜びの声音で捲し立ててくる。 ここは木の上だ。 人間の君が住むのに適していない。 俺も番を迎えた今、君に食料を運ぶ時間は割けないんだ。分かるよね。 街まで送ってあげるから希望があるなら言ってくれ。 ふはっ、何それ何それ何よそれは。 木の上? 適してない? そんなの最初からわかってた事じゃない。 街まで送る? 希望があるなら言え? まるで決定事項のように言うのね。 私の気持ちを知りもせずに。 喉まで迫り出した言葉をぐっと堪えた。 言っても意味がない。 怒っても、悲しんでも、謝罪もなければ理解もしてもらえない。 これが獣人世界であり、過去にも抱いた絶望だった。 元の世界に帰る術はない。 ないのだから、ここで生きていくしか道はない。 彼の背に乗り近くの街を指定した。 どこでも同じだ。 獣人世界なら、どこでも。 死に損なった私にも番がいるのだろうか。 誰かが私を求めてくれるのだろうか。 人間の私を。 感性の違う私を。 番至上主義のこの世界で、そんなありもしない未来を想像しながら、今日も生きて行く。
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