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人が暮らす場所は如何に定められるのか。
生まれる場所は。
何故、そこに生まれ、何故、移り行くのだろうか。
行燈の炎が揺れた一瞬、薄暗い部屋の明かりが波立った。イナは鉄瓶を七輪から下げながら、背中でヨウに話し始めた。決したものの、目を見て話し始めることはできなかった。
「ヨウ、よくお聞き。父様が紅毛人ゆえに、お前はもうここにはいられなくなったのだよ。」
「母様、どういうことです?」
ヨウのほうに向き直り、真正面からイナは告げる。
「ジャガタラ行きの船に乗らなければ。」
「・・ジャガタラ?・・・ずっと遠い南の土人の島・・ですか?」
「・・・」
言葉ではなく頷いて答え、イナはヨウから畳に目を落とした。
「母様は?母様も一緒に?」
「いいえ、私は行かれない。紅毛人や南蛮人の血が入ったものは、日本にはいられないんだよ。お奉行様の御達しで。」
「私は・・・私は・・・日本人です。日本に生まれて、日本の言葉を話します。母様も日本人です。」
ヨウの父エルンスト・スペックスは、平戸にある東インド会社の商館長だった。ヨウが生まれて間もなく阿蘭陀に帰り、ヨウは父を知らずに母イナに育てられた。ヨウの瞳の色が薄く、髪の色が茶色がかっているのはそのためである。
「父様がジャガタラで待っていてくださるから。」
「・・・」
「父様が東インド提督として阿蘭陀からジャガタラに赴任されます。安心なさい。」
「父様を覚えておりません。」
父エルンスト・スペックスは裕福で地位もある阿蘭陀人だったため、イナは十分な資金を受け取り、ヨウは十四まで不自由なく暮らしていた。その上イナが遊女ではなく、武士の娘だったので、ヨウは女であるのに教育を受けるという珍しい環境で成長した。南蛮人、紅毛人が日本人に産ませた子供は、捨て置かれるのが論を俟たない世の常にあって、ヨウの稀有な境遇を作り出したのは、父スペックスの金ではなく、情であるとイナは信じていた。
「お前は読み書きもできる賢い子だよ。大丈夫、お前は大丈夫。どこでも立派に生きられる。」
「土人の国でもですか?母様!」
己の悲運は母のせいではないことを重々わかっていたが、ヨウは母を責めるように大きな声で訴えた。
「・・・私にはどうしようもできないのだよ。お前が海に投げ捨てられるより、どこかで生きて暮らしてくれていたら・・・それだけをよすがに生きられる・・・どうか死なないでおくれ。」
イナは絞り出すように言い終わるや否や涙に崩れた。畳に突っ伏し、泣き続ける母様の背中は小さく、ヨウの涙は抗うことなく静かに落ちていった。十四のヨウに、来る波を避ける術も戦う武器もなく、言われるままに流れていくしか道はない。
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