夜の蝉

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夜の蝉

「あんたの妹、結婚するらしいよ」と伝え聞いたのは、昼間の蒸し暑さが冷め切らない熱帯夜のことだった。  猛暑日名物、夜に鳴く蝉もだんだん数を減らしはじめる九月半ば。  通話の切れたスマホをミニ冷蔵庫の上に置いたら、わたしの代わりに駄々をこねるみたいに冷蔵庫がブウン!と鳴った。  地元から足が遠のいてかれこれ六年が経ち、両親はすでに亡くなって泊まる家もなく、疎遠になった妹のためにいまさら帰郷するのも面倒で、第一本人から直接報告されたワケでもないし……とアレコレと祝わない理由を並べてシャワーを浴びた。 「(さくら)()。あんたの妹、結婚するらしいよ。(さく)――あんたの元彼と」  電話口でおずおずと伝えてくれた友人の声が、シャワーの水音にまじってリフレインする。 「えーっ。知らなかった。なんか気まずいね!」  わざとらしくテンションを上げたけれど、空元気は丸わかりだったに違いない。  だって、言えないでしょ?  六年前に別れた元彼に未練があるとか……さっさと忘れて次にいけって言われるに決まっている。  あーあ。最近増えてきた抜け毛が排水溝をふさぐので、泣けるものも泣けやしない。  朔とは中学三年生から、社会人になってお互いの生活がすれ違って別れてしまうまで、約十年間付き合った。  別れるにあたって、取り立てて深刻な事件が起こったわけじゃない。ただ、お互いの好きだった部分が、好きだったときのまま変わらずにはいられなかっただけ。我々は子どもだったのだ。  十年ものの失恋はわたしのちっぽけな心には大きすぎ、歪なかたちに裂けた傷に隙間風がさびしく吹く。今も吹く。  失恋直後にバッサリ切ったショートカットが案外友人達に好評だったので、以来ずっと短く切り揃えている髪をタオルドライして、私は缶ビールを開けた。  金曜日のバラエティー番組はどれも今のわたしには小難しい。ただお笑い芸人がおおげさに痛がって笑いを誘うようなくだらなくて単純明快な娯楽を欲したけれど、令和のテレビは視聴者にそんな甘えを許さないらしい。  缶の縁にのった泡が、時間経過とともにしずかに消える。  ベランダで蝉が鳴く。  みーん、みーん、みーん。  そういえば、朔と付き合いはじめたのも夏の終わりだった。  まだ九月初旬の夕方が、ちゃんと涼しかった頃の話だ。  十五歳の通学路。 「サクラコ」と「サク」で「サクサクコンビ」と銘打たれたわたしと朔は小学校からの腐れ縁で、思春期に突入してまもなく、青虫がさなぎから蝶に変体するくらい自然に恋に落ちた。 「朔、あのさー。話したいコトあるんだけど」 「俺もある」 「あっ、じゃあそちらからどうぞ」 「いや櫻子からどうぞ、どうぞ」  ――結局、どちらから告白したのかは定かではない。  制服のブラウスが汗ばんだ背中に張り付く感覚だけ覚えている。
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