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「わたしがとつぜん帰ってきた理由、椿から聞いた?」
「ううん。俺が聞いていいものか、わからなくて。……どうして?」
「朔からもらった腕時計がどこにも見当たらないから、もしかして椿の手元にあるんじゃないかって、探しに来たの」
朔があんまり間抜けな顔をするので、わたしはすこし怯んで「べつに未練があるとかじゃないから!」と言い訳する。
嘘だ。嘘つきめ。
まだ大好きだよ。
「腕時計って、俺の腕時計? 中学生んときに渡したやつ?」
「そう、それ!」
覚えていてくれたことが素直に嬉しく、腕時計が見つからなくて落胆した心がたちまち夜の空気にふわふわと浮かんだ。
「朔からは色々もらったけど、やっぱり最初のプレゼントだからかな。思い入れがあるんだよね」
「腕時計なら俺が持ってたよ」
「えっ」
朔は「忘れたの?」と仏頂面で詰め寄る。
「別れたときにさ、櫻子の家にあった俺の私物を宅配便で送ってくれたじゃない。その中に入ってた。割とショックだったよ」
「な……」
……なるほど。
六年前のわたしはよっぽど腹に据えかねて、大切な思い出の品まで返品してしまっていたのか。
「もう一度いただくってわけには」
「いかないよ。捨てちゃったし」
「捨て……まあ、そりゃそうだよね。わたしが悪かった。ごめん。でも、そうか、自分で手放した物をはるばる探しに妹まで巻き込むとは、とんだ間抜け者だ」
「相変わらずだな」
「わたしのそういうとこが好きだった?」
冗談めかして言ったら、「ふふ。どうかな」と笑った。
朔が目を細めた奥には、たぶん、あの頃のわたしが映っている。自惚れかもしれないけれど、どうせ時間は巻き戻らないのだから、多少勘違いをしたって構わないだろう。
「櫻子。手、出して」
「ん?」
ほろ酔いでやや桃色に染まった手のひらに、朔が金属質の冷たい何かを置いた。すこし重い。
腕時計だ。
「あげるよ」
「でもこれ高いんじゃないの」
「そこそこ、ね。でも櫻子にあげる。捨てちゃったお詫びというか……椿には内緒な」
わたしはポカンとして、お礼を言おうとしたけれど、泣きそうになって涙と一緒に飲み込む。
朔、好き。
もう一度だけでいいから、最後で構わないから、抱きしめてほしい。
妹の夫になってしまう前に。
まだ、他人同士でいられるうちに。
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