1人が本棚に入れています
本棚に追加
落とし物と少女
土曜の夜。駅構内は、帰宅する人で混雑していた。
改札前でリュックの背面ポケットを開けようとし、嫌な予感がした。チャックが全開になっていたのだ。歩きながら左手をがさがさと動かしてみるが、案の定、定期ケースがない。
改札を離れ、近くの柱の前にリュックを下ろす。今度はしっかり中を探るが、やはりない。
「マジかよ……」
思わず声が漏れた。どこで落とした? 駅から博物館まで、どこにも寄り道はしていない。だとしたら、その途中か。
「ねぇ。これ、落としたわよ」
目の前には、小さな赤い靴。
うな垂れていた顔を上げると、まん丸の目をした、小さな女の子が立っていた。小学一、二年生くらいだろうか。
「あ、ありが」
お礼を言って受け取ろうとしたが、女の子は二つ折りのケースを開き、中身を確認し始めた。
「ホシナシュウト?」
定期券に書かれている、僕の名前を読み上げた。その次に高校の学生証を取り出し、僕の顔写真を指差した。
「これ、あなた?」
「そうだけど」
「なんていうか、ものすごくダサい。名前はかっこいいのにね。ほら、この漢字なんて」
入学時に撮影した、太い黒縁眼鏡をした写真だ。兄の持っている雑誌を読んだとき、有名な俳優がかけていた。僕もこれをすれば、少しはかっこよく見えると信じていた。だが一年以上経った今、まったくもって似合っていないとわかる。おまけにレンズが大きすぎて、平成を通り越し、昭和のおじさん感が満載だ。
「それ、返してもらっていいかな?」
僕はできる限りにこやかな顔で、優しく話しかけた。
普段は、学生証を誰かに見せることはない。それがまさか、こんな恥を晒すことになるとは。それも、見ず知らずの小学生に。一体、何の苦行だ。
「返してあげてもいいけど、私のお願い聞いてくれる?」
「お願い?」
定期を拾ったお礼か? まぁ、大事な物を拾ってもらったんだ。それは当然……なのかもしれない。
「いいよ。お願いって何かな」
そう答えると女の子は腕を組み、僕の全身を上から下まで、品定めするような目つきで見た。
「ふぅん。今はだいぶマシになったのね」
僕の容姿を言っているのだろうか。去年の夏休みにコンタクトデビューし、服装はシンプルなものを選ぶようにした。なんとか、普通の高校生として溶け込めている……と思いたい。
「私に、この街のファッションストリートを案内して」
最初のコメントを投稿しよう!