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「わかったよ。すぐ近くに服屋さんがあるから、少しだけ案内するね」
「早くそう言えばいいのに。さ、行きましょ!」
女の子が、両手で僕の右腕を引っぱり、改札の中へ入ろうとする。
「そっちじゃないよ、こっち」
反対側を指差すと、彼女は「あら、そう」と手を離した。
僕は自由になった右手を出し「手、繋ごうか」と言ったが、女の子の動きは止まってしまった。
やばい。気持ち悪い発言だったか。弟が小さい頃、人混みでは手を繋ぐものだった。しかし彼女からすれば、常識外なのかもしれない。異性の、得体の知れない奴と手を繋ぐなんて。
「あなたが繋ぎたいなら、そうするわ」
僕の右手に、小さな手がきゅっと握られた。少し力を入れたら、簡単に潰れてしまいそうだ。
とりあえず気持ち悪くはないんだなと、僕は密かにほっとした。
さて歩き出そうかとしたところで、名前を聞き忘れていたことに気がつく。
「お名前は?」
「私? 私の名前は衣織。衣を織ると書いて、衣織。ぴったりの名前でしょ」
「へぇ。衣織ちゃん」
「衣織って呼んで」
駅のすぐ近くには小さな屋外モールがあり、数店舗が軒を連ねている。
「もう秋ファッションの季節なのね」
ショーウィンドウには、茶色のワンピースやオレンジ色のスカートが飾られていた。秋を連想するような色だ。
しかし八月の終わりになっても、毎日気温は三十度以上ある。長袖の洋服なんて、僕は見ているだけで暑苦しい。
「鷲人、このお店に入りましょ」
彼女が僕の手を引き、中へ入ろうとする。
「店に入るの?」
「当たり前じゃない。近くでじっくり見なきゃ、意味ないもの」
こんな店には入ったことがない。彼女でもいれば、一緒に買い物くらいしただろう。ただ悲しいことに、十六年間彼女はいない。
躊躇し足を止めていると、衣織は僕を無理矢理引っぱり、店の自動ドアを開けてしまった。
「いらっしゃいませぇ」
甲高い女性の声が聞こえた。
すぐ目に入ったのは、チェック模様でひらひらのスカートを着たマネキン。衣織はその横を通り過ぎ、店の奥へと入って行く。
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