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夜の街での後悔
商店街をまっすぐ走り、細い路地に入ったところで衣織が止まった。僕は息が苦しすぎて、思わずその場に座り込む。文化部にはきつい。全身が汗でぐしゃぐしゃだ。
「どう? 撒けた?」
衣織はまったく息が乱れず、涼し気な顔で僕に言った。念のため後ろを見るが、追手が来ている様子はない。助かったらしい。
「足……速いね……」
「そう? これくらい普通よ。鷲人が遅すぎるんじゃない?」
それは否定できないが、小学生に負けるなんて。自分の体力のなさと、小さな子よりも遅いという事実で、二重にショックだ。
「はぁ……まぁいいや。それで、行きたい所はわかるの?」
すぐに帰る、という選択を僕は諦めた。ここまできたら、彼女が満足するまで付き合おう。
「ここから近いはずよ」
「じゃあ、一緒に行こう。今度は急に走らないでね」
僕は、彼女の小さな手を握った。
「あれ? こんなところに……子どもが二人」
背後から聞こえた声に、肩がびくっと動いた。振り返ると、スーツを着たおじさんが立っている。まずい。また、逮捕の危機か。
「い、妹と追いかけっこを」
「こんな時間に? 危ないねぇ」
おじさんが、にやにやとした顔で近づいて来る。僕は咄嗟に、衣織を自分の後ろへ隠す。何だ? この気持ち悪さは。
「もう帰るので、大丈夫です」
駅で見たポスターを思い出した。不審者警戒中の下に書かれていた、要注意人物の特徴だ。紺色のスーツ姿、五十代、瘦せ型、白髪交じり。
まさに、このおじさんじゃないか。もしかして噂の不審者? だとすると、衣織が危ない。
「おじさんが家まで送ろう」
「だ、大丈夫です」
「いいんだよ。趣味みたいなものだから」
そう言うとおじさんは、僕の腕に掴み掛ってきた。はぁはぁと、荒い息を立てながら。
「君、いくつ? 高校生かなぁ」
ぞわぞわと不快感が全身を駆け巡り、ひゅっと息が止まる。相手の細められた目と歪んだ口元に、とてつもない気味の悪さを感じた。まさか狙いは……僕?
『ああいうのはね、性別関係ないんだよ。まだ高校生でしょ? 気をつけてね』
和泉さんの言葉が浮かび、僕は後悔した。商店街の前で、なんとしてでも衣織を止めていれば。
全身の汗は吹き飛び、ただただ小さな震えがくる。汗が乾いて寒いのか? それとも恐怖なのか? 早く、なんとかしないと。でも体が、言うことを聞かない。
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