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「鷲人から離れなさーい!」
場違いな幼い声。
その瞬間、おじさんが勢いよく倒れこんだ。衣織の飛び蹴りが綺麗に決まり、彼女は静かに着地した。
「逃げるわよ!」
衣織はそう言って、僕の手を引き走り出す。二人で来た道を全力で戻り、僕は夢中で商店街を駆け抜けた。
「も、もう大丈夫だよ……たぶん……」
商店街からモールを突っ切り、気づけば駅の前まで戻っていた。
「私、強かったでしょ」
「うん……すごいよ……助かった……ありがとう」
やはり衣織は、息を切らさず涼しい顔だ。僕はまた、心臓が痛いくらいに苦しかった。
「あのお店行きたかったけど……今回は諦める」
衣織は眉を下げそう言った。それからそっと僕の手を離し、代わりに定期ケースを握らせてきた。
「今日はありがとう。なんかいろいろあったけど、楽しかったわ」
「そっか。それは良かった」
「また、来年付き合ってくれない?」
「来年?」
「そうよ。来年も、またここへ来るわ。天の川が近くなる季節に。ここからは、全然見えないけどね」
僕は空を見上げた。この場所からは、街の明かりで天の川なんて見えない。僕らのすぐ横には、あの大きな観光ホテル。建物を照らす明かりが、星が輝くのを邪魔しているのだ。
「ブブッ」
リュックが振動したのを感じ、僕はスマートフォンを取り出した。画面には『夕飯どうするの?』の文字。しまった、母へ連絡するのを忘れていた。
「衣織、ホテルの部屋はわかるの……衣織?」
そこに、衣織の姿はなかった。念のため周囲を探すが、子どもがいるような気配はない。
……ホテルへ戻ったのだろうか。
右手にはまだ、小さくて柔らかな感覚が残っていた。
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