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俺が全部、教えてあげる
大学の講義は、基本的に好き。
でも、憂鬱なものはいくつかある。なぜ憂鬱なのかは、わかっている。元カレと、同じだからだ。
別れた次の日、その講義で顔を合わせた時に心底気まずそうな顔をされた上に、周囲の友達に私のことを“つまらない女”“やらせない女”なんて話しているのを聞いてしまった。
そこから1週間、また憂鬱な時間がやってくる、と思っていたのだが、今日はそれ以上に、陽奈の心を支配することがある。
「陽奈、お待たせ」
ぽんっと陽奈の肩に手をおいた楓は当たり前のように陽奈の手を引いて、席に座った。当然、陽奈も隣だ。
ばくばくとなる心臓。全てが気になって仕方ない。こんなんじゃ、講義に集中できない。
「陽奈、ここ見せて」
「うん、」
緊張する陽奈とは対照的に、楓はすごく普通だった。講義の板書で書ききれなかった部分を陽奈に見せてもらおうと、楓が陽奈に寄る。ふわりといい香りが陽奈の鼻を掠めた。
楓は、かっこいいと思う。背も高いし、顔も整った綺麗な顔をしている。特に、横顔が綺麗。
合コンで女性陣の視線を集めていたのも納得だ。
そんな楓は、あの日から陽奈の彼氏。通っている大学も同じことがわかり、聞いたら学年も同じ、取っている授業もいくつか同じだった。
今日の授業は元カレとも同じ。もしかしたら、見られていたかも、なんて思ったが、百人規模で人が集まる講義だ。その可能性もそんなにないだろうとすぐに考えるのをやめた。
「陽奈、」
ぽそっと楓が呟いたかと思うと、陽奈の顔にかかる髪を耳にかけてくれた。
その仕草がなんだか色っぽくて、ドキッとしてしまう。
「あ、ありがと」
「陽奈の髪、綺麗」
耳にかけた髪をなぞるように、楓はそのまま髪を撫でながら手を下ろす。頬杖をついてその仕草をする楓の方が、よっぽど綺麗だ。
そうこうしてるうちに、講義が終わった。ばらばらと席を立ち始める学生たち。陽奈たちもバッグに文房具を入れて立ち上がる。この後はどちらも講義がないため、一緒に昼食に出かける予定だ。
座席の場所から出ようとした、その時だった。
「陽奈」
後ろから、聞き慣れた声で呼び止められて振り向く。そこには、陽奈の元カレ、英太の姿があった。
「……え、英太くん?」
一体何の用なのだろう。つまらない、私に。
陽奈の体が無意識に固まる。
そんな陽奈の様子など気にせず、英太はつかつかと陽奈に近寄ってきた。そして、とんでもないことを言い出す。
「次の男に行くのが早いな、陽奈」
蔑むような視線。そこには、陽奈のことを好きだと言う感情なんて、一切なかった。
「そいつにはもうやらせたの?」
「……な、何言ってるの?」
「俺には散々勿体ぶって、そいつには簡単にやらせたんだ?」
「違う、」
とんだ言いがかりだ。陽奈は、これまでキスまでしか経験がない。そのキスだって、初めて付き合った英太にあげたのだ。
なのに、英太は陽奈を傷つけるような言葉を投げかける。
「違くないだろ。やっぱり、陽奈も顔かよ。神木楓、有名だよな、イケメンで」
「違うってば…」
「好きとか言っておいて、最悪だな、お前」
「だから、違「黙れよ、童貞」
聞いたことのないような低い声が陽奈の背後から発せられた。慌てて振り向けば、信じられないくらい冷たい表情をした楓。
「さっきから聞いてたら何なのお前?やれなかったから、こいつにつまんないとか言ったの?」
「は、つまんないだろ。付き合ってんのにやらないんだぜ?あと、俺は童貞じゃねぇよ」
「お前、バカだろ」
「は?」
「やるのに、付き合ってるとか付き合ってないとかねーよ」
「は、何言って」
「女にやりたいと思わせられなかったお前が悪いんだよ、下手くそが」
「な!?」
「お前は陽奈に選んでもらえなかったんだよ。じゃーな、下手くそ。二度と話しかけんな」
綺麗な顔で凄む楓は、そのまま陽奈の手を取って歩き出した。
陽奈は何が起きたのか整理しきれず、頭の中が混乱したまま小走りで楓の後についていった。
「なにあいつ。あんなのと付き合ってたの?」
「………はい」
「趣味悪いね、陽奈」
「今となっては、激しい後悔に襲われています…」
大学の裏手側にある建物の非常階段。そこに2人で並んで腰掛ける。
本当に、どこが好きだったのか。あんな人だったんだろうか。陽奈の中にそんな気持ちがぐるぐる巡る。でも、そんなこと考えている時点で、本当は、本当には、英太のことを好きじゃなかったのかもしれない、と陽奈は思った。
「陽奈」
「んっ、」
呼びかけられて、振り向いた瞬間。唇が塞がれる。
「………なんで、」
「俺のことで頭をいっぱいにしたいから」
突然のことすぎて、遅れて顔が熱くなる。
恥ずかしくて俯こうとした陽奈の顎を、長くて綺麗な楓の指がそっと支えた。
あ、キスされる。
そう思ったけれど、陽奈は抵抗しなかった。
(キスって、こんなだったっけ…)
触れるだけのキス。でも、高揚感と満足感で溢れている。
「陽奈、もっとしていい?」
「っん、」
そう言うと楓は、陽奈の返事を待たずに深いキスを始めた。
柔らかくて温かい楓の舌が陽奈の舌を絡める。
唇が動くたびに聞こえる水音が陽奈を淫猥な気持ちにさせる。
「…ん、ふっ…ぁ、」
「陽奈、すきだよ」
「っ…んっ、ぅ、」
深い深いキス。こんなキス、陽奈は知らない。
陽奈の意識が途切れそうになったその時、ようやく楓は唇を離した。2人の唇が離れるとき、銀色の糸がぷつりと切れる。どちらのものかわからない唾液で、楓の唇が光っていた。
陽奈は恍惚としていて、息が上がり頬が赤い。
その姿がさらに楓を興奮させていることなど、陽奈は知る由もなかった。
「陽奈は、知らなかっただけだよ」
「え?」
「好きな人とするキスの気持ちよさも」
「っ、」
「肌が触れ合う気持ちよさも」
楓の指が、陽奈の唇に触れる。ぬるついた陽奈の唇を、親指がぐっと拭う。
「陽奈、俺が全部、教えてあげる」
楓はそう言って、再び陽奈に深いキスを落とした。
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