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十二
台北市内にあるホテルの最上階から見る街並みは、子供の頃に作ったジオラマのようで、人々の往来さえ安っぽく見える。部下に任せてもよかったが、なぜか自分自身の手で借りを返したかった。上海の船上オークションで落札したタザキノボルの「白月」が贋作だったと判明し、失った金などどうでもよかったが、少なからずプライドが傷ついた。出品者は確かコバヤシと名乗る日本人だったが、そんな人物が存在していないことくらい想像がつく。あの時、タザキという日本の刑事が、タザキノボルの息子だと確信し、つい熱くなってしまった。あの男とのチキンレースに負けた悔しさが込み上げる。奴にはいづれ借りを返すとして、幾つか解き明かさねばならないことがあった。
オークション会場でタザキの傍にいた男、キョウゴクシズカの正体。奴は台北の黒社会の人間だとわかっている。日本の刑事に近づくよりも早く接触できるかもしれない。なぜなら奴は王美玲の恋人だから。実は船上で彼女と連絡先を交換した。彼女はとても魅力的だった。実際に連絡を入れるつもりはなかったが、こうして台北まで来る理由ができたのだから、これも何かの縁だろう。
趙建宏が携帯電話をかけた。八回コールしたが出なかった。無理もない。上海であれだけ怖い思いをしたのだ。既にメモリーから消去されているかもしれない。組織の情報屋を使って調べさせることもできるが、今は彼女と直接話がしたかった。彼女との束の間のデートを思い出す。ルーレットで勝った時の、目を大きくして喜ぶ顔が忘れられない。もう一度だけコールしてみた。諦めて切ろうとした時、つながった。
「ドチラ様デスカ?」
「突然スミマセン、趙デス。美玲サン?」
「趙サン?」
「ハイ、覚エテマセンカ? 二年前、上海デ」
息を飲むのがわかった。そのまま携帯電話から顔を離したのか、気配が遠ざかり、周囲の喧騒が聞こえた。
「実ハ今、台北ニ来テイマス」
「ドウシテ・・・・・・」
「仕事デスヨ、今度、台北ノ企業ト大キナ取引ガアル」
「ソウ・・・・・・」
沈黙が広がった。二年間という月日のせいなのか、恋人と敵対する勢力の人間だからだろうか、次の言葉が見つからなかった。諦めて会話を終えようとした時、思いがけず、小さく呟くような声がした。
「覚エテマス」
「アノ時ハ何ト言ウカ、ソノ・・・・・・」
「気ニシテマセンヨ、助ケテモラッタノハ、私ノ方ダシ」
「ヨカッタ、ホットシマシタ」
王美玲が頬を緩めるのが感じとれた。
「台北ハ良イ街デスネ」
「謝謝、本当ハオ仕事デ台北ニ来タ訳ジャナインデショウ?」
「マアネ、美玲サンニ会イニ」
「シズカヲ探シテルノ?」
趙建宏が息を吐いた。
「確カニ、ソレモアリマス。上海デ痛イ目ニ遭イマシタカラ。ケレドモ、ソレダケジャナイ。私ガ本来手ニ入レルハズダッタ絵画ヲ取リ返シタイト思ッテイマス。彼カラ何カ聞イテイマセンカ?」
王美玲が口を噤んだ。そんな話、リュウから何も聞かされていなかった。ただ、上海から台北に戻り、リュウの態度が素っ気なく感じられていた。
「絵画?」
「ハイ、上海ノオークションデ、私ハアル画家ノ絵画ヲ落札シマシタガ、ソレハ残念ナガラ贋物デシタ。アレカラ色々ト調ベマシタ。君ノ彼ガ台北ノ組織ニ属シテイルコト、ソシテ台北ノ組織ガ贋作ビジネスニ深ク関ワッテイルコトモネ」
王美玲が息を飲んだ。
「私ハ組織ノコトナンテ知ラナイワ」
「私ハネ、コレデモ世界各地ニ情報網ヲ持ッテイルンデスヨ。美玲サンハ知ラナイカモシレナイガ、キョウゴクシズカハ知ッテイル。美玲サンハ、孫小陽トイウ男ノ名前ヲ聞イタコトハアリマセンカ?」
「ソンナ人、知ラナイワ」
「マア、イイデショウ。キョウゴクシズカニ聞ケバワカル」
「アナタハ、シズカニ会ッテ、彼ニ何ヲシヨウトシテイルノ?」
「ドウモシマセンヨ、彼ニ恨ミハアリマセン。タダ、私ノ組織ノ者ガ孫小陽トイウ男ヲ追ッテイマス。キョウゴクシズカナラ、彼ノ居場所ヲ知ッテイルカモシレナイ。デキルコトナラ個人的ニ彼ニハモウ一度会ッテミタイトハ思イマスガネ。美玲サン、コレカラ少シ時間ハアリマセンカ? モシ良ケレバ、ドコカデ食事デモ」
美玲は迷っていた。孫小陽のことは本当に知らなかった。ただ上海のオークションで自分が知らない取引があって、リュウもそれを隠していた。心が疼いた。
「エエ、イイワ」
「デハ、台北ホテルノラウンジデ、一時間後」
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