十五

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十五

 安平の宿で一泊し、小さな魚港から船に乗った。台南から離島への小型機という選択もあったが、銃を持っていては何かと面倒だった。孫小陽が離島に向かったことはわかっていた。しかし、離島から先の行方がわからない。台湾島の周囲には幾つもの孤島が存在する。その中のどこかに孫小陽は秘密のアトリエを持っていて、定期的に訪れるのだった。リュウはそれを組織の噂話として聞いた。上海のオークションに父タザキノボルの贋作が出たのは事実。出品者はコバヤシという日本人だったが、どうにも腑に落ちなかった。そしてもう一つ浮かび上がる疑念。それはハダケンゴの父、ハダケンゾウの自死の真相。実は台北に戻った後、ハダケンゴが姿を消した。表向きは日本への帰国だったが、奴が祖国に戻ることができないことは知っている。すぐに孫小陽を追っているのだと気づいた。ハダより先に孫小陽を見つけ出し、事件の真相を聞かねばならない、そんな気がした。王志明に話すと、自分も行くと言ってきかなかった。下調べもそこそこに二人で高速鉄道に飛び乗った。 安平の外れの港には、個人が所有する船が幾つも停泊していた。この周辺の孤島には夏場、マリンスポーツを楽しむ客が訪れる。たいていは飛行機で拠点となる大きな島に渡るのだが、中には観光客が訪れない小さな島に渡りたいという者もいる。まるでプライベートビーチのような島々に渡すのが、個人で営む船宿だった。そして、その中の一部には昔から麻薬を扱う者たちがいる。誰の目にも触れない無人島に渡し、クスリを求める客の要望に応えるという噂があった。どの船宿の船もボロボロで、一応エンジンは付いているが、黒煙を吐き出している。波の高い日はこの港の宿に滞留することになる。サーファーなどの若者が多い分、孫小陽のような老人がいれば目立つ。飛行場のない孤島は山ほどある。リュウと王志明はこの港町で手がかりを探すことにした。  船宿の口はどこも堅かった。それもそうだろう。彼らにとってハダケンゴや孫小陽は上客の一人である。まして薬物を扱っているのだとすれば、そう易々と客の情報を漏らすはずがない。マフィアの情報網というものは、このような田舎の漁村にまで張り巡らされているものだ。この村に滞在したことがわかったとしても、船がどの島に向かったかなど知るすべもない。だが、麻薬を目的とした客の足取りを追うことはできる。薬物常習者には幾つか特徴のようなものがある。暑くもないのに多量の汗を額に浮かべていたり、瞳孔が開くため、陽光が眩し過ぎてサングラスをかける。目の渇きが気になるのか、目薬を手放せなかったりするものだ。王志明の父親がそうだった。いつも額に汗を浮かべ、シャツの脇は黒く濡れていた。台湾は確かに暑い。しかし、住み慣れた者であれば、多少のことで汗をかくことはない。リュウも薬物中毒の人間を何人も見てきた。たいてい普通のどこにでもいるような風貌で、一見ではわからないが、どこか焦点が定まらない視線と、やはり多量の汗をかく。もしかするとハダケンゴがサングラスを外さなかったのも、そういう理由だったのかもしれない。この時期、マリンスポーツを楽しむ若者の姿が目立つ。黒い肌に派手なアロハシャツを着ている。金髪でサングラスをかけているのは、どこの国のサーファーも同じだ。ここでは金持ちも貧乏人も等しく同じ船に乗る。それ以外の渡航手段が無いからだ。彼らは日常的にマリファナなどをやっているが、中毒患者は稀だ。サーフィンで波に乗った時、脳内に拡がる快感と似ているという。今日は運悪く風が強かった。波のうねりが高く、船宿で一泊する羽目になった。  夜、大広間を間仕切っただけの部屋に、カビ臭い布団を敷いて寝そべっていた。天井を見つめるが、隣に居合わせた若者たちの声で眠れなかった。彼らは女とギャンブル、金儲け、そして薬物の話ばかりしていた。あまりにもくだらない話ばかりだったが、彼らの中の一人が黒社会と通じているらしく、誇らしげに声を張り上げている。周りの客も見て見ぬふりをしていた。 「ナア、シズカ、アノ馬鹿ウルサイナ。少シ黙ラセテヤロウカ」 「やめておけ、こんなところでケンカしてもしょうがないだろう?」 「デモサ、アイツ調子ニ乗リヤガッテ、クソガキ共」 「志明、本当に小老はこんな船宿に足を運んだと思うか? 何か他のルートがあるんじゃないのか? 俺には信じられんが」 「俺モ小老ガコンナクソガキ共ト一緒ニ居タトハ思イタクナイガ、島ニ渡ル方法ハ他ニ無イヨ。例エ船ヲ貸切ッタトシテモ、悪天候ハ平等ダ。台南ノホテルニ引キ返スコトモ考エラレナクモナイガ、マア、俺ナラソウスルカモシレナイ。コンナクソガキ共ト一緒ノ宿ダナンテ、死ンデモゴメンダ」  確かにそんな気がした。小老なら大きな街まで引き返すかもしれない。むしろその方が自然ではあるが、出航の時刻すら定まっていない船に乗るには、この村に留まる必要があるのも確かだ。 「まあそう言うな、明日の朝早いんだ。もう寝てしまえよ」  王志明は不満そうにしていたが、いつの間にか軽い寝息をたてていた。
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