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十七
ショウが初めてヤマモト銀次を知ったのは、まだ警察官になる以前、調布にある映画学校を卒業し、歌舞伎町でアルバイトをしていた頃だった。当時、ヤマモト銀次は歌舞伎町の町会長をしていて、たまたま何かの用があってショウが働いている店に顔を出した。ちょうどT社長は留守で、店内に客もいなかった。白髪で眼鏡をかけ、足が悪いのかステッキのようなものを持ち、地下への急な階段を降ってきた姿を覚えている。
「T君はいるかね?」
「いえ、今、不在です。急用でしょうか? もしよろしければ連絡先か、または、こちらから連絡するよう申し伝えますが?」
柔らかい笑顔と皺に埋もれた細い目が印象的だった。
「いや、いいよ、また足を運ばせてもらうから」
老人が店内を見まわす。
「商売の方はどうかね? ぼちぼち儲かっているようだが」
「お陰様で」
「何よりだ。わしの願いは、歌舞伎町の住人皆に儲かってもらうこと。誰か一人だけが良い思いをしたり、誰かが不幸になったり、それではいかん」
ショウが老人の目を見つめた。
「社長にお伝えしますので、お客様のお名前を教えていただけませんか?」
老人がショウを見つめた。
「ヤマモトです」
それが最初の出会いだった。それから何度か街ですれ違い、挨拶を交わした。頭を下げると目を細めて小さく手を振った。大抵は一人で杖をついていたが、ある時、チンピラ風の男が正面から歩いて来てぶつかりそうになった瞬間、どこからともなく数人の男たちが飛び出してくるのを見た。そのことをT社長に話すと、何度か頷いて苦笑した。
「そりゃ、そうだろ」
「ボディーガードですか?」
「まあな」
「ヤマモトさんって、何者なんですか?」
T社長は頬の無精ひげを触りながら、眉をひそめた。
「お前は知らない方がいい」
ショウが首を捻った。
「町会長さんってことは知っています。他に何かあるんですね? 普通のどこにでもいるお爺さんにしか見えないけど」
「そういうもんよ、世の中、本当にヤバい奴ってのは皆、仏のような顔なのさ」
「ヤクザの組長とか?」
T社長が首を横に振った。
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ、何なんすか?」
「そうだな・・・・・・伝説の不動産王ってことかな。この歌舞伎町にたくさんの土地やビルを持ってる」
「超金持ちなんですね」
「金だけじゃ、この辺にビルは持てないよ。不動産の世界は少なからずヤクザな世界なんだ。金の他に人脈、運も必要だしな。特に歌舞伎町は外国人地権者も多い。他の街にビルや土地を買うのとはわけが違う」
「中国人ですか?」
「大抵はな。そんな中でヤマ銀さんが次々に歌舞伎町のビルを買って行ったんだ。そりゃ、伝説にもなるわな」
「へえ、あの物静かな御老人が」
目を細める白髪の顔が頭を過った。
「ヤマ銀さんなら、歌舞伎町の裏事情に詳しいですよね? 今度お会いしたら、弟のこと聞いてみようかな」
「確かに生き字引のような人だけど、悪いが、それもやめておけ」
「どうしてですか?」
T社長が頭を指で掻き、額に皺を寄せた。
「さすがにヤマ銀さんでも、お前の弟が街にいたかなんて知らないだろ。地回りのヤクザの方が余程情報を持ってる」
珍しく付け放すような冷たい口調に、ショウは首を傾げた。
「そうですね」
「まあ、焦るなよ。そのうち何かわかるって」
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