二十一

1/1
前へ
/40ページ
次へ

二十一

 アベヤスオから連絡があったのは、サヤカと会ってから一週間後のことだった。兄貴分だったオオタタカシの敵討ちをするというのが口癖で、そのためなら協力を惜しまないと言っていた。 「セリザワの兄貴には黙ってて下さいよ」  そう言いながらも、声が弾んでいる。ショウが告げ口しないこともわかっているし、例えバレたとしても、セリザワが自分を傷つけるとは思っていないようだ。 「ヤス、お前の協力は嬉しいが、あまり人を信用し過ぎるなよ。お前は人が好過ぎる。ヤクザな世界に戻したのは間違いだったかもな」 「そんなことねっすよ。タザキさんにはいくら感謝しても足りねっす。この位の協力なら朝飯前っすよ。でも、これだけは言っときますが、オオタの兄貴の敵は俺が討ちます。それだけは誰にも譲れねえ。例えタザキさんに止められてもです」 「お前の気持ちはわかるが、今度は殺人で実刑だぞ。俺はもう助けてやれない」 「覚悟の上っす」 「ハダを殺したら、満足するのか? ヒアリに刺されたのは偶然だったんだろう?」 「でも、あいつが俺たちを嵌めたのは確かです。あいつがわざと捕まるように仕組まなかったら、俺も兄貴もこんなことにはならなかった」  ショウが溜息をついた。 「勝手にしろ。ところで、お前の仕入れた新情報って何だ?」 「はい、実は月に一回、四ツ谷の本部で幹部会ってのがあって、セリザワの兄貴も出席するんですけど、その日はたまたまムラナカとタナベさんが立ち話しているところに出くわしたっすよ。そしたらムラナカが何度か『横須賀』って言ってるのが聞こえて、それをセリザワの兄貴に言ったら、恐らく次の取引場所だろう? って言うんですよ。横須賀なんて行ったこともねえし、どんなとこかも知りませんけど、米軍の基地があるから、名前くらいは知ってます。ただ、それが本当に取引場所を指しているのかわかんねっす」 「そうか、助かったよ。こっちは横浜のどこかじゃないかと思って情報を集めていたが、横須賀辺りまで範囲を広げてみる価値はありそうだな。ヤス、他に取引の時期について何か心当たりはないか?」 「そいつは、わかりません。何かわかったらまた連絡しますから」  そう言うと通話が切れた。横須賀というのは意外だった。しかし、よくよく考えてみれば、周囲を海に囲まれ、米軍基地で栄えた繁華街もある。海兵たちが集うディープな店もあると聞く。当然、基地内は日本の法律が及ばない。まさか基地内で? アメリカ人が一枚噛んでいる可能性だってある。ショウは一度、横須賀に行ってみることにした。  横須賀中央駅から、米軍横須賀基地へとまっすぐ伸びるメインストリート沿いにあるパーキングに車を入れた。決して大きな街ではないが、飲食店や雑貨店、ホテルなどが建ち並び、アーケードの商店街がある。通りには軍服を着た男の姿も見える。地元の女子高生はあか抜けていて、スカートの丈も短めだ。店もアメリカンナイズされたものが多い。ショウは基地の正面ゲートに近い喫茶店に入った。ここから正面ゲートが一望できる。すぐ脇に入場を申請するための建物があり、ここでパスが発行されなければゲートを通ることができない。現行法では、基地の中で犯罪があったとしても、日本の刑事が日本の法律で逮捕することができない。しかし、奴らとて、この基地内に麻薬を持ち込むのはそう容易いことではないはずだ。ワンデイパスの発行、入門ゲートでの車両検査等を受けることになる。そのようなリスクを考えれば、基地内での取引より、この横須賀の街のどこかと考えるのが自然だろう。ショウがテーブルにつき、コーヒーを注文した。壁に『海軍カレー』という文字を見つけ、まだ朝から何も食べていないことに気が付いた。  カレーは拍子抜けするほどシンプルだった。日本の昔ながらの家庭で出されるカレーに似ている。大きめの野菜が入っていて、そんなにスパイシーではない。神保町でよく食べるエチオピアのインドカレーやボンディの欧風カレーとも異なる。言ってみればレトロなカレーだろうか。カレーを食べ終え、基地周辺を歩いてみることにした。三笠公園まで歩くと、もう一つのゲートが見えてきた。米軍横須賀基地には二つのゲートが存在する。正面ゲートの他に通称『ワンブル』と呼ばれる裏門がある。基地内で働く者や、出入りの業者など、フリーパスを持つものが利用する。ここでは比較的簡略化された検査のみで通過することができた。ゲートには屈強な米兵が立っている。いくらヤクザでも、ここを強引に突破することは難しい。出入りの業者に成りすましても、基本的に内部の人間のエスコートが必要である。繁華街に出ると、米兵向けのバーや飲食店が並んでいる。中には会員制の怪しげなパブ、刺青の店もある。このどこかでクスリの売買があっても不思議ではない。ただ、街自体は案外狭い。海岸から少し離れると、切り立った崖があり、雑木林にぶつかる。三浦半島がリアス式のような地形で、海の背後に急斜面の山が連なっている。一通り街を巡ってパーキングに戻る途中、裏通りを歩く体の大きな男の姿が目に入った。雰囲気からして一般人ではなさそうだ。初めは地元のヤクザかと思って見ていたが、何かが引っかかる。その男は短髪で口髭を蓄え、金色の時計が少し離れた場所からも目立った。男を尾行すると、街の外れにある、比較的米軍基地に近い雑居ビルに入って行った。ショウが後を追ってビルに入る。エレベーターの行き先を確認すると、地下だった。階段を使って慎重に降りてみる。人の気配が無い。確かに男は地下に降りた。男が消えた。こんな雑居ビルの地下に何があるというのだろうか。ショウは一度外に出て、男がビルの外に出てくるのを待った。  小一時間程して、男が出てきた。入る前と後とで変わった様子はない。奴らのアジトだろうか? いや、それにしては何も無さすぎる。奴はこのビルの地下で一時間もの間、一体何をしていたのだろう。さらに男の後を付けたが、ショウとは別のパーキングに停めていた黒塗りのベンツに乗って横浜方面に走り去った。ショウは再びビルに戻り、地下に降りてみた。地下にはエレベーター機械室と、消火栓ポンプ室があるだけだった。ドアノブを回すが、鍵がかかっていた。男はこの地下室の鍵を持っている。ショウは急いで男の車のナンバーを照合した。男の名はヒラノカズヒロ。年齢は五十歳。車は北陽会の所有だった。ヒラノという名前には覚えがある。以前T社長が、ムラナカのボディーガードのことを「金魚の糞」と言っていた。聞いていた風貌とも合致する。しかし、ムラナカリョウジの姿は無かった。違和感が残る。雑居ビルのテナントに聞き込みをかけたい気もするが、大抵は同じ穴の狢。下手に動いても、こちらの存在を知らせるだけである。せっかく掴んだ横須賀という情報。このまま横須賀で取引をさせて、その場で押さえるのが最善策だろう。ショウは車に引き返し、携帯電話に手を伸ばした。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加