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二十二
翌日からショウは四ツ谷の北陽会本部を張り込んでいた。ヒラノカズヒロを確認するためだった。その車中でサヤカに連絡を入れた。万世橋署内では人目が多過ぎる。会話が漏れては困る。万世橋署として動いているわけではなく、サヤカ個人に情報を渡すのが目的だった。ショウにとっては、個人の成績も、署の検挙率も関係なかった。このヤマを本庁が押さえようが、そんなこと、どうでもよかった。ただ、このヤマには厚生労働省の麻薬捜査官が絡んでいる。出方次第では人が死ぬ。それはS(エス)かもしれないし、本庁の捜査官かもしれない。恐らくガサ入れの時は銃の携帯が許される。麻薬取引の現場では、その逮捕までの過程で、銃が使用される確率が高い。ショウは以前、警察官になりたての頃、容疑者からの発砲で足を負傷したことがあった。あの時の痛みは忘れない。そんなことを考えながらサヤカに電話を入れた。五回コールしたが出なかった。しかし、数分後に向こうから着信があった。
「先輩、おはようございます。どうしたんですか?」
「警視、その携帯は安全ですか? 例の件で誰にも聞かれたくないのですが」
「そうね、大丈夫だと思うけど、心配なら何処かで会って話しましょうか?」
「その方が良いと思います」
「ところで先輩は今どこに?」
「四ツ谷ですよ、北陽会の本部」
「何か動きでも?」
「いいえ、でも、ちょっと気になることがあって、それを確かめてから話します。警視、昼頃、四ツ谷に出られませんか? ランチしながら話しますよ。六番町に美味いポルトガル料理の店を知ってますから」
「それって、デートのお誘いみたい」
ショウが目を細める。
「いいんですか? ユキナさんに怒られますよ」
「大丈夫、アイツも大人だから」
「そんなこと言って、知りませんよ。ユキナさん、ああ見えて結構やきもち焼きですから」
「そうかな?」
「そうですよ、あの時だって、わざわざ本庁まで来て。先輩と一緒に上海に行くちょっと前、私、心臓が止まるかと思いました」
ショウが苦笑した。
「先輩は他人事のように思っているかもしれませんけど、当事者なんですよ、当事者! 私とユキナさんの気持ち、ちょっとは考えて下さい」
「わかってる」
「いいえ、わかってない」
ショウが頭を掻いた。
「先輩、一つ確認してもいいですか?」
「何?」
「先輩は、私のこと、本当はどう思ってるんですか?」
「うん、まあ、その・・・・・・あっ、ムラナカの車が来た。警視、またかけ直します。ランチの場所はメール入れておきますから」
ショウが通話を切った。
「ちょっと、先輩? 先輩ったら!」
やはり、横須賀で見かけた黒いベンツの運転手と同一人物だった。ウィンドウを開けて、守衛に手を振った時に確認した。ムラナカの姿は、窓ガラスのスモークのせいで見えなかったが、後部座席に人影があった。そして、そのすぐ後ろに白いワンボックスが続いた。車のキャリアに脚立が積んである。車の中に電線やら工具のようなものが見える。電気屋だろうか? 念のためナンバーを控えた。出入りの業者かもしれない。ショウはヒラノカズヒロという男に興味を持った。署のデータベースで昨夜調べたのだが、指定暴力団北陽会の構成員として認識され始めたのが、わずか五年前。それ以前の経歴がきれいに無くなっていた。大学を出た後、忽然と社会からその存在が消えているのだ。
二時間待ったが、何の動きもない。サヤカとの約束の時間が近づいた。北陽会本部から少し離れた六番町に『カーザ・デ・ファド・マヌエル』というポルトガル料理の店がある。以前、アベヤスオを連れて来たことがある。小さなビルの地下にあり、通りすがりでは見つけにくい。店の前でサヤカが待っていた。
「待ちました?」
「遅い」
ショウが苦笑する。
「しかし先輩、よくこんな見つけにくい店、知ってましたね」
「ここは北陽会の本部から近いでしょう。張り込みのついでに」
「張り込みの捜査員って、車の中でコンビニのお弁当なんかが多いんでしょうけど、さすが先輩。それで、何かわかりました?」
「そう慌てずに。飯でも食いながら話しますよ」
二人で地下に降りて行った。
「素敵なお店」
「でしょう、味も悪くない」
ショウがボーイを呼んで、赤魚のオーブン焼き、アンチョビとオリーブのトマトソースを頼んだ。サヤカは干し鱈とジャガイモのクリームグラタンを注文した。奥のワインセラーが目に入った。
「ワイン、と言いたいところですが、我慢しましょう」
「ポルトガル料理なんて珍しいですね」
「上質のオリーブオイルを使っているからヘルシーだしね」
「何の匂いかしら? スパイシーな良い匂い」
「コリアンダーでしょう。ポルトガル料理の特徴的な匂いだ」
ショウが辺りを見渡した。昼時のサラリーマン風の男が一人、近所の裕福そうな老夫婦が一組、まだ時間が早いせいか客はまばらだった。
「たぶん、横須賀だと思います」
サヤカが目を大きくした。
「どこからの情報ですか?」
「それは明かせませんが、信頼できる情報源です」
「私はてっきり横浜だと」
「実はその情報を得てから、横須賀に行きました。そして、そこでヒラノカズヒロを見かけました。今朝はその確認もあって四ツ谷に」
「ヒラノと言えば、ムラナカリョウジのボディガードよね。その男が横須賀にいたとなると、信憑性が高いわね」
「ただ、ヒラノがムラナカの傍を離れ、単独で動いていたのが気になって」
「確かに、変よね」
「警視、ヒラノがS(エス)ということは?」
サヤカが首を横に振った。
「それは、私にもわからない」
一瞬、サヤカの視線がテーブルの隅に移った。
「ムラナカをはじめ、組の誰一人、横須賀なんて近寄りもしなかったのに」
「三浦半島はリアス式になっていて、漁船などで近づけば、案外人目につかず、取引に利用しやすいのかも」
「でも、確か基地周辺海域は入航禁止よね」
「そうですね。ですから、基地周辺を微妙に避けて存在する小さな漁港や、堤防なんかの可能性もあります」
「絞り切れないわね」
「でも、どうして横須賀なのかしら? 他にも三崎とか久里浜とかあるでしょうに」
「横須賀にこだわる理由があるとすれば、やはり米軍基地でしょうね」
「米軍が絡んでいるとでも?」
「さあ、そこまでは」
「米軍が絡んでいるとなると、非常に厄介だわ。日本の警察が勝手に基地内に入ることだって許されないし。奴らも考えたものね。日本のこんな近くに海外があるなんて」
「私は、もう一度、横須賀に行ってみます」
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