二十三

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二十三

 数日後、ショウの非番の日に久しぶりにユキナと会うことになった。電話口で「明日、お前をびっくりさせてやるかんな!」と言われたが、それは会ってからのお楽しみと笑って、教えようとしなかった。 「明日の朝、九時にマンションの前で待ってて」 「部屋じゃなくて、建物の前でか?」 「そうだよ」  ユキナの声が弾んでいた。 「わかった。遅刻するなよ」 「おう!」  そう言って、あっさりと通話を切った。  翌朝、ショウがマンションのエントランスを抜けて外に出ると、何やらクラクションを鳴らしながら車が近づいて来るのが見えた。黄色いてんとう虫のような車体。車がショウの目の前で止まった。パワーウィンドウが降りる。そこにユキナの姿があった。ショウが思わず仰け反った。 「ショウ、びっくりしたろ?」  ショウが言葉を失っている。 「まあ、いいから乗れよ」  言われるまま助手席に乗って、シートベルトを締めた。 「今日はドライブデートだよ。私の運転で」 「いつ取ったんだ?」 「先月だよん」  ユキナが白い歯を覗かせる。 「この車は?」 「もち、私のだよ。先週買った」 「やるな、お前」 「ところで、どこ行く? まだ免許取ったばかりで都内は迷いそうだから、高速使ってどっか遠出して、何か美味いものでも食おうぜ」 「じゃあ、横須賀でも行ってみるか? 海軍カレーが美味いらしいぜ」 「いいねえ、いいねえ、海軍カレーか。噂には聞いたことあんけど、まだ食ったことないから、横須賀で決まり」  ユキナはそう言うと、カーナビに横須賀と入力した。 「とりあえず、横須賀基地周辺まで行って、そこから海軍カレーの店を探そう」  車を出した。ユキナが急に真顔になった。 「お前、やたらと顔がハンドルに近くないか?」 「いいだろ別に。その方が左右の視界が広くて見やすいんだよ」 「まあいいけど、そんなに運動神経いいわけじゃないんだから注意しろよ。しかし、忙しいのによく教習所通えたな。調布自動車学校か?」 「そう、そう、休みの日にコツコツとネット予約して。そう言えば、ショウもあそこで取ったんじゃなかったっけ?」 「ああ、懐かしいな。映画学校時代に通ったよ。当時は教習所の隣にボーリング場があったりして、皆で行ったこともあったよな」 「うん、懐かしいな。あの頃が一番楽しかったような気がする。親に金出してもらって、何の責任も背負ってなくて、ただただ目の前に希望広がっていた」 「そうだな」  ショウは盛岡から東京に出てきた当時のことを思い出していた。あの頃は弟のリュウを探すことで頭がいっぱいだった。ユキナが言うような、背負うものが無い人生ではなかったけれど、現在、警察官として生きる自分に比べたら、身軽だったかもしれない。学生時代の仲間も年々往信不通になり、いや、それはお互い様なのだ。開かれた未来が、年々狭くなって行くと感じながら大人になって行く。ショウは久しく両親の事件のことを思い出さなくなっていた。このまま、記憶が透明になって行くのに任せて生きたとしても、決して許されないことではないだろう。弟との再会が、孤独に固まった心を癒したのは事実だった。そして今、隣にはユキナがいる。 「そう言えばショウ、アイツらには最近連絡取ってるの?」 「トオルとケンジのことか?」 「そう、アイツら今、何やってんの?」 「さあな、俺もしばらく会ってない。以前話した時は、確か、トオルがSEやってて、ケンジが株をやっているようなことを言っていたが」 「株って、トレーダーってこと? 大丈夫なのかよ、アイツ」 「心配ないさ」 「そうだよな。皆、大人になって、それぞれの道で忙しくやってるわけだ」  ショウが苦笑する。 「アタシはさ、夢だった芸能界にも入って、そりゃ、女優さんになれればもっと良かったけど、こうしてバラエティ出してもらって、夢が叶ったし。それに、学生の頃にショウに出会って、今もこうして一緒にいることができて、本当に幸せだと思ってるよ」 「そうだな」  ユキナが頬を膨らませた。 「ちぇ、たったそれだけかよ」 「まあ、そう言うなよ。俺は俺なりに、お前との月日を噛み締めている」  ユキナが顔を紅らめた。すると、後方からクラクションが響いた。 「おっと、いけねえ。話に夢中で、ずっと追い越し車線走ってた」  ショウがサイドミラーを覗くと、黒塗りのレクサスがピタリと後ろに付いている。右に左にハンドルを切って煽っていた。 「お前、高速走るの何回目だ?」 「ん? 今日が初めてだよ」  ショウが苦笑する。 「後ろのレクサスを行けさせてやれよ」 「やだね」  ユキナがアクセルを踏んだ。 「随分、飛ばすんだな」 「あたぼうよ、アタシは追い抜かれるのが嫌いなんよ」 「無理するな」 「仕方ねえ、どいてやるか」  ユキナが走行車線に車を戻す。しかし、後ろのレクサスもユキナの車の後ろに張り付いてきた。クラクションが聞こえる。 「何なんだよ、コイツ」  レクサスが急ハンドルで追い越したかと思うと、ユキナの車の前に割り込んでブレーキを踏んだ。目の前に赤いブレーキランプが近づく。 「危ねえ」 「完全な煽り運転だな」 「こっちは若葉マークだってのに、こんなことする奴いるんだ」  すると、横浜横須賀道路の真ん中で、レクサスが車線を塞ぎ、完全に車を停止させられた。 「やべえ、あいつ、こっち来るぞ」  サングラスをかけた男が、罵声を浴びせながら車を降りて近づいてきた。 「ショウ、どうしよう。あいつマジだよ」  ショウが苦笑する。こちらが警察官だと知れば、恐らく慌てて引き下がるだろうが、あまりにも悪質だと思えたし、ショウの心の中に遊び心が湧いてきた。男はユキナに向かって窓を開けろと怒鳴っている。 「ちょっと、待ってろ」  ショウが助手席側のドアを開けて外に出た。 「なんだ、てめえ!」  男が近づいて来る。男が手を伸ばした瞬間、ショウが男の手首に手錠を打ち込んだ。 「公務執行妨害と妨害運転罪な」  男の表情が青ざめる。 「今、急いでんだ。お前と遊んでいる暇はない」  すると、ショウは男をそのままにして、助手席に戻った。 「ユキナ、行くぞ」 「い、いいのかよ、そのままで」  ユキナが車を出そうとすると、男が慌ててて助手席の方に回り込んだ。ショウが窓を降ろした。 「手錠してても運転できるだろ? 横須賀署に行って外してもらえ」  そういって、窓を上げた。男が呆然と立ち尽くしている。 「なんか、あいつが気の毒に思えてきた」  ユキナが男に小さく手を振った。  小一時間程で二人の車は横須賀市街に入った。高速道路を降りるとすぐに、海岸沿いに米軍の空母が見えた。窓を開けると潮の香りがした。 「ひゃあ、でっかいな」 「ああ、近くで見ると迫力あるな」 「でもさ、こうして見てる分にはいいけど、結局は戦争の道具なわけでしょ。複雑な気がする。私たち日本人は、こいつに守られてるのかと思うと」 「そうだな、軍が悪いとか正しいとか単純に言える話ではないよな。現に世界では戦争が起こっているわけだし。一方的に攻められて、はいそうですか、自分には関係ない話だと見て見ぬふりするわけにもいかない」 「うん、そうだよね」 「ただ、戦争という暴力に対して、同じ戦争という暴力でやり返すことに、少なからず思うことはある。以前の俺がそうだったように」  ユキナが黙って頷いた。車を市街のパーキングに入れ、ネットで評判の海軍カレーの店に入った。 「おお、待ってました。これが噂の海軍カレー」  すると、店の店主がユキナに気付いた。 「もしかして、ミウラユキナさん? 料理研究家の」 「そうですけど、プライベートなんで」  店主がチラとショウを見た。帰り際、会計を済ませた後、色紙にサインを求められると、ユキナは慣れた手つきでサインを書いた。 「慣れてるな」 「まあね、サインは仕事だかんね」  ショウが苦笑する。 「美味かったけど、案外普通のカレーだな」 「昔から、海軍には金曜日にカレーを食べる習慣があるんだとさ。それでカレーを食わせる店が増えたんだろう。この街はどこを見てもアメリカ人向けだ。実際に軍服を着た奴も普通に歩いてるしな。アメリカ軍と共に栄えてきた街というわけさ。ちょっと、米軍基地の近くまで歩いてみるか?」  ユキナが頷いた。二人で並んで歩くのは久しぶりだった。二十歳の頃に出会って、思えばずっと一緒だった。 「何か、新鮮だね」  ショウが頷いた。三笠公園の傍まで来た。 「あ、ここって、クレイジーケンバンドの歌に出て来る、あの三笠公園だろ」 「そこの喫茶店でコーヒーでも飲むか? ビールと言いたいところだが、今日は車だから」  ワンブルの出入り口が見渡せる喫茶店に入った。ゲートには米兵が数人立っていて、出入りの車の通行証を確かめている。コーヒーを注文した。 「ここにも海軍カレーがあるよ」 「また食べるのか?」  ユキナが首を横に振った。 「いや、いや、さすがに無理。アタシももう、そんなに若くないし」 「お前らしくもない。そう言えば昔、盛岡行った時、わんこそば100杯食べたことあったよな」 「そうだね、懐かしい。最近、色々と昔のこと思い出すんだ。ショウに出会った時のこととか、一緒にショウの故郷に行ったこと、アキバで地下アイドルやってたこともあったっけ。怖かったこともあったけど、ショウとずっと一緒だったから、今思えば、そのどれもが懐かしい思い出」  ショウが頷いた。 「アタシね、今じゃななくて、もっと先の話なんだけど、いつかショウと一緒に田舎で暮らすのも悪くないかなって」  ユキナが顔を紅くして下を向いた。 「そうだな」  ユキナが顔を上げ、目を大きくした。 「びっくりした。今、お前、そうだなって言った?」 「ああ」 「それってさ・・・・・・」 「ちょっと待て」  ショウが視線を窓の外に移した。すると、どこかで見覚えのある白いワンボックスが通るのが見えた。先日、四ツ谷の北陽会本部に出入りしていた車だった。控えていたナンバーと一致する。ショウの中で何かが繋がり始めた。 「何だよ、急に」 「そういうことだ。そろそろ帰るぞ」  ユキナが瞬きした。
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