二十四

1/1
前へ
/40ページ
次へ

二十四

 台湾海峡に浮かぶ孤島に一隻のボートが着いた。本島からの渡し船で、渡航の日時なども決まっておらず、チャーターが不定期の乗合船である。降り立ったのはサングラスの男一人だった。島は南北に別れ、北側には港や小さな街がある。比較的人口が密集し、経済活動の大半が島の北側で行われていた。それに比べて南側は原生林と砂浜が続くばかりで、小さな集落が幾つも点在していた。観光客はホテルがある北側に滞在し、南側に行きたければ、海岸線を走るバスを利用する以外にない。南側の村には民家があるばかりで、民宿のようなものもない。そもそも観光客すら訪れることの少ない、南海の孤島だった。  ハダケンゴのサングラスに夕陽が反射している。今日はこの街のホテルに宿泊し、明日から行方のわからない孫小陽を探すつもりだった。本島の漁村を調べ上げ、確かに孫小陽らしき老人を島へ渡したという情報を得た。それだけで、かなりの時間を要した。台湾海峡には、地図に無い島も多く、船頭無しでは、とてもじゃないが探せない。これまで幾つかの島を訪れたが、それらは全て人違いであった。この島に渡った老人が孫小陽である保証はないが、可能性を潰して行くしかない。ハダケンゴは、ホテルの支配人から、この島の大まかな地理を聞いた。地図は無いが、主な建物は一本の幹線道路沿いにあり、老人が一人で野営するはずもなく、しらみつぶしに当たれば、そのうち情報を得られると考えていた。しかし、民家に紛れ込んでいた場合はそうはいかない。そこで現地に詳しい案内人を一人雇うことにした。名は劉建。年齢は不詳だが、見た目は三十代前半、片言の日本語を話すことができる。 「人を探してる。老人だ。最近、本土から来た者はいないか?」 「日本人?」 「いや、台湾人だ」  劉建が笑った。 「周りは全員、台湾人ですよ。この島は老人も多い」 「この島の人間なら、本土からよそ者が来たらわかるだろ」 「観光客なら見ればわかるけど」 「まあいい、明日から街の隅々まで探す。それでも見つからなければ村々の家を一軒一軒訪ねる。いいな?」  劉建が気の無い返事をした。  翌朝、ホテルの前で劉建が待っていた。廃車寸前の軽自動車で案内するようだ。助手席に乗り込んで、街の外れにあるホテルを指示すると、劉建が乱暴に車を出した。路は一応舗装されてはいるが、車線は消え、信号も無かった。錆びたバス停が見えた。 「バスが走っているのか?」 「はい。北と南を往復するバスが、日に数本あります」 「南側には何がある?」 「何も無い。白い砂浜と熱帯雨林があるだけ。サーファーたちが時々バスで来て、波乗りする。物好きな連中さ」 「人は住んでいるんだろう?」 「ええ、小さな集落が幾つか。詳しいことはわからない」 「地元の人間も近寄らないのか?」 「皆、黒社会と関わりたくないからね」  ハダケンゴがサングラスに手をやった。  街のホテルは全て空振りだった。孫小陽らしき人物の宿泊記録は無かった。街の飲み屋やたまり場にも顔を出したが、有力な情報は得られなかった。時間だけが過ぎて行く。ハダケンゴはホテルの部屋で煙草を燻らせながら、上海での白月の贋作と、子供の頃に見た紅月のことをぼんやりと思い出していた。思えば、白月の贋作は、紅月の贋作とタッチがよく似ている。真作が似るのは当然だが、絵画のタッチは筆跡のように個々に異なる。しかし、贋作というものは本来、別々の人間によって描かれることが殆どだ。子供の頃に父のアトリエで見た紅月は、今でも忘れはしない。上海オークションに組織が出品した贋作は白月だった。つまり、孫小陽は白月の真作を持っている。あの日、父が何者かに殺害された日、自分は自宅にかかってきた一本の電話の声を耳にした。北京語で誰かと話していたその声。これまでずっと紅い月の所有者を追いかけてきた。それは、父が贋作を掴まされたはずがないという信念だった。犯人は父に真作を見せ、それを一度手渡し、そして殺害し、贋作とすり替えたのだ。唇を嚙みしめた。明日は島の南側に行く。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加