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三十八
台南駅の裏口を出て十五分程歩くと、緑に囲まれた赤い城門が見えた。旧城跡が公園になっているらしく、芝生でシートを広げる人や、ベンチで本を読む人の姿もある。城門は終日開いている。かつては木造の城門だったらしいが、現在は観光化され、白と赤の石造りとなっている。リュウは白い布で包まれたキャンバスを手にしている。王志明と引き換えに「白月」を渡すことになっていた。しかし、本物の白月はハダケンゴがコバヤシのアトリエから持ち去った後だった。リュウは趙建宏に嘘をついた。身柄を交換する時、必ずウソがバレる。その瞬間、王志明の命も、もしかすると自分の命も潰えてしまうかもしれなかった。せめてもの救いは、白月に似た油彩画を台南の画廊で手に入れることができたことだ。少しの時間でいい。少しの間、趙建宏の目を欺ければ、その間に王志明を救い出し、台南の街に紛れることができる。安物だが銃も手に入れた。交換の際には捨てさせられるだろうが、それでも丸腰で臨むよりはマシだ。公園内は木々が生い茂る。林に紛れてしまえば狙撃もできないだろう。
十七時、リュウが大南門の前に立った。ロータリーにはまだ人気がある。そんな中で趙建宏がどのようなアプローチをしてくるのか予想できない。額に嫌な汗が浮いた。刻一刻と時間が過ぎる。近づいて来る者を凝視する。どこか遠くでカラスの鳴き声がする。陽が傾きかけ、影が長く伸びていた。約束の時間から十分が過ぎた。何も起こらない。掌に汗が滲む。キャンバスを持つ手が濡れ、何度も持ち替えた。カラスの鳴き声だけが近づいているような気がした。ニ十分経過したが誰も現れない。リュウが辺りを見渡した。不審な者はいない。携帯電話に着信もない。ふと顔を上げると、城門の脇の大木に、黒々としたカラスの姿が見えた。そのカラスは一羽、また一羽と増え、視線をこちらに向けている。そこでリュウはハッとなって後ろを振り返った。大南門の公園へと通じるトンネルの端に、黒い大きなゴミ袋が捨てられている。それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。駆け寄った。カラスの視線は明らかにその黒いゴミ袋に注がれている。確かめねばならない。しかし、リュウの手が震えた。袋の中に王志明の亡骸が折り畳まれていた。目の前が暗くなった。膝から崩れ落ち、血が滲むほど唇を噛んだ。リュウは立ち上がると、地元の警察に電話をかけ、公園を後にした。
ホテルでシャワーを浴びた。東京で学生をしていた頃の王志明の姿が思い出された。頭から熱い湯をとめどなくかけ流す。少し心が落ち着きを取り戻し始めた。美玲に何と伝えようか・・・・・・。リュウはバスローブのままベッドに横たえた。携帯電話を取り出し、美玲の番号を表示させては消し、そしてまた携帯電話を放り投げた。夕方のニュースで報道されるだろうか? 身元不明の遺体というだけで、そう大きくは取り上げられないかもしれない。やはり自分の口から美玲に話すべきだ。そう決心したのは、すでに夜も更けた頃だった。美玲はもう眠っているかもしれない。五回コールして出なければ、決心が鈍ってしまいそうだ。しかし、五回目のコールで美玲が電話に出た。
「ドウシタノ? コンナ夜遅クニ」
「すまない。どうしても伝えなければならないことがあるんだ」
「何?」
「実は・・・・・・志明が死んだ」
受話器の向こうの気配が遠退いた。
「エッ? 今、何テ言ッタノ?」
「すまない。俺が付いていながら、お前の兄さんを・・・・・・」
「嘘」
「嘘じゃない。志明は俺と一緒に台南の島に渡る途中、趙建宏の手下に捕まって尋問された。その時から志明と連絡が取れなくなった。台南で志明の身柄と親父の絵画を交換する約束になっていたんだが、奴らはその場に現れなかった」
携帯電話が地面に落ちる音がした。
「美玲?」
その後、すぐに通話が切れた。再びかけ直したが、美玲が電話に出ることはなかった。
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