三十九

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三十九

 一台の黒塗りのベンツが歌舞伎町のタワーマンションの前に停車した。待ち構えていた強面の男たちが、歩道を遮るようにして列をなし、背筋を伸ばした。車から降りた男の一人が後部ドアに走り寄り、ドアを開ける。すると中から白髪の痩せた男が顔を覗かせた。眼鏡をかけているが、片目が義眼であることがわかる。周囲が一気に緊張感に包まれた。男の名はソウマケンイチ。広域指定暴力団北陽会の若頭である。若い頃から武闘派で知られた存在で、北陽会のナンバー2である。この歌舞伎町のタワーマンションには、新宿の不動産王と呼ばれるヤマモトギンジが住んでいた。ヤマモトは政財界とのつながりも深く、そして、ソウマケンイチのような裏社会の人間と親交も噂された。ソウマがヤマモトのもとを訪れたのは明らかだった。案の定、ソウマを乗せたエレベーターは最上階へと向かった。通りすがりの者でさえ、その異様な雰囲気に目を背けた。  ソウマは人払いをすると、単身でヤマモトの部屋に入った。ヤマモトはソファに腰かけ、水割りのようなものを飲んでいた。 「何か飲むか?」 「いえ」 「そういうところが、お前の、下の者に対する人望の無さというか、余裕の無さなんじゃないのかね? 素直に一杯付き合えばよいだろうに」 「はい」 「横須賀では派手に立ちまわったそうじゃないか」 「お恥ずかしい限りで」 「持って行かれたのはムラナカか?」  ソウマが頷いた。 「あの男はよくない。いつかこうなると思っていたよ。少しばかし薬学の知識があるからって、大きな顔をしているのは知っていたが、どうせ下の者にでも売られたんだろう?」 「ヒラノがマトリでした」  ヤマモトが顎の辺りを触った。 「物事を成すには、先ず人を築かねばならん。ムラナカに人を見る目が無かったということだ。所詮、器ではなかった」  ソウマが額の汗を拭った。 「どこがパクった?」 「万世橋のタザキというマル暴のようです」 「ほう、マトリでも本庁でもなく所轄か」 「そのようです。実は奴には少々手を焼いています」 「お前らしくもない」 「ですが、こちらも色々と調べてわかったのですが、そのタザキという刑事ですが、実はタザキコウゾウの孫のようです」 「何? それは本当か? 名前は何という」 「タザキショウと言います」 「そうか、タザキコウゾウの孫だったか・・・・・・」 「ご存じでしたか」 「まあな、因縁のようだな」  ヤマモトが目を瞑った。 「覚えているか? ワシとお前とで、ハヤシマサオを勝たせるために、タザキを陥れた時のことを。もう三十年も前の話だが、タザキは原発建設反対派の急先鋒で、ワシもハヤシも利害は一致していた。あの当時、ワシもまだ若かった。原発建設のために土地を買収し、それをハヤシに法外な値段で買い取らせた。税金は湯水のようだった。原子力ムラは、ワシとハヤシとに群がる者たちにとってのオアシスだった。そんな中でタザキは目障りだった。今となっては、タザキもハヤシもこの世にはおらんが、まさか、そのタザキの孫がお前の前に立ちはだかるとはな」 「おっしゃる通りです」 「わかった。ムラナカのことは任せておけ。それとな、今日、お前をここに呼んだのは、他でもない。ある情報筋から、台湾で孫小陽が死んだそうだ」 「それは本当ですか?」 「経緯は知らんが、台南で銃で撃たれて死んでいるのが見つかった」 「一つの時代が終わったということですね」  ヤマモトが頷いた。 「先生、実は今日お伺いしたのは、私の方からも一つ願い事がありまして」 「何かね」 「私も既に六十を越えました。若頭という立場に不満はありませんが、男たる者、一生に一度は天下を取ってみたくもあり、今、ここでは申せませんが、五代目の引退の際には力添えを賜りたく」 「後押しせよと?」  ソウマがヤマモトの瞳の奥を覗き込んだ。 「資金はどうする?」 「目途は立っております」 「ケイマン諸島へはいつ?」 「今年の初めから」 「どうかね?」 「予想以上に」 「なら、良かった」 「先生の会社もあちらに?」  ヤマモトが頷く。 「この国の税金は高過ぎる。あれでは国内の産業は育たん」 「あの男はどうなりましたかな。確かサワムラとかいう警察庁のキャリアですが。あの男、執拗に海外に流れる金の動きを調べているとか」 「あの男は少々厄介だな。それ相応の政治的圧力をかけなければ手を引かんだろう。しかし、日本の警察がどう動こうが関係ない話だ。せいぜい国内の小物を追いかけているにすぎん」 「サワムラはタザキの腹心だった男です」  ヤマモトが頷いた。 「一度、会ってみようかの」 「サワムラですか?」 「いや、タザキの孫に」 「単なる所轄の刑事ですが」 「わかっておる。だが、その単なる刑事にムラナカを持って行かれたのと違うか?」  ソウマが小さく頷いた。 「お互い、歳は取りたくないのう。大地震による津波で、原発神話が崩れ去る未来など誰が想像できようか。ワシやハヤシなどの原子力ムラはかつて、原発さえ建設できれば儲かった。しかし、これからは、そうではない。新たな原発を建設することなど、世論が容認するはずもないし、フクシマの後始末を考えただけで気が遠くなる。お前はまだ被災地でのビジネスをしているのか?」 「何を人聞きの悪いことを。れっきとした人助け、原発の後始末という汚れ仕事を引き受けているんですから、そんな言われ方をするのは心外ですな。ホワイトカラーができない仕事を、こっちはやっているんですよ」 「そうだったな。この世は持ちつ持たれつ。お前たちのような人間がいなければ、世の中は成立しないのだからな」  ソウマが苦笑して、立ち上がった。
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