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 新宿二丁目のイサオの店。まだ時間が早いせいか客の姿は無く、有線放送のポップスが空回りしている。最近は韓流アイドルに入れ込んでいるらしく、店の壁に男性アイドルのポスターが貼られていた。 「ようイサオ、久しぶり」 「あらショウ君、いらっしゃい。ユキナちゃんも一緒?」 「いや、ユキナは収録だとさ。それよりT社長来てないか?」 「まだ来てないけど、待ち合わせ?」  ショウが頷く。 「なんだかショウ君忙しそうね。スーツのまま来るなんて珍しい。まあ、スーツ姿のショウ君も素敵だけど」  ショウが苦笑する。 「イサオ、最近新宿で出回ってるブラッドの話、客から聞いたことないか?」 「うん、まあ、聞かないこともないけど、あれって若い子が嵌ってるんですってね。あいにくウチのお客さん、年配の方が多いから詳しい話しないけど、たまに新宿の街歩いてると赤い血のような跡があるから気になってた」 「そうか」  すると、店の扉の鈴が鳴った。T社長だった。 「ショウ、久しぶりだな」 「すみません、急に」 「構わないよ、俺も久しぶりにお前と話したいと思っていたところだ」  T社長がカウンターに座って、ウーロンハイを頼んだ。 「何かあったんですか?」 「お前から連絡があってピンときたよ。アレだろ? ブラッドのことだろう?」  ショウが頷いた。 「北陽会のムラナカが動いているらしいぞ」 「やはりそうでしたか」 「ムラナカリョウジと言えば、北陽会きってのインテリで、組織の薬剤師なんて言われている男だ。北陽会のブラッドを一手に取り仕切るようになったらしい」 「詳しいですね」 「ああ、俺もあれから色々と調べたんだ。特にハダ君に関する情報を集めたよ。彼、ムラナカと馬が合わなかったらしい。互いにインテリ同士だと対立するのか知らないが、麻薬の入手ルートも当時は異なっていたようだし、ハダ君が台湾ルートを開拓したのに対し、ムラナカが香港と付き合い始めた。ハダ君が組織に追われるようになったのも、それが関係しているという噂だ」 「仲間割れってことでしょうか」  ショウは数年前、ハダが国外に逃亡した時のことを思い返した。あの時、六本木のハダのマンションで殺害されたのは確か香港のシグマという新興マフィアだった。あの事件でハダは恋人だったニッタジュンコを失っている。 「でもなぜ、ここにきて北陽会の動きが活発化しているのでしょうか?」  T社長が煙草に火をつけた。 「それは、たぶん、どちらか一方に決着がついたってことじゃないか。ハダ君が今も生きているかは知らないが、その可能性は低い。ムラナカは冷酷な男だというからな」 「他にムラナカの情報はないですか?」  T社長が煙を吐いた。 「そうだな、そう言えば、金魚の糞がいつも一緒だって誰かが言ってたな」 「それはどんな奴ですか?」 「ヒラノとかいう髭の大男で、ムラナカのボディーガードをしている。いつからいるのか知らないが、どこに行くにも付いてまわるから、周りからそう呼ばれているらしい。お前らの捜査線上でマークされてないのか?」 「いえ、一応、知ってはいますが・・・・・・」  ショウが頭に手をやった。 「何だよ、その歯切れの悪い口ぶりは。何か言っちゃまずいことでもあるのかよ」 「ええ、まあ」  ショウが片眼を閉じた。 「いいよ、いいよ、無理に言わなくても。それよりお前、ユキナちゃんとは上手くいってるのかよ。週刊誌に出てくる謎の恋人A氏ってお前のことだろ?」  ショウが頭を掻いた。イサオが聞き耳を立てている。 「お前ら、もう付き合って長いんだし、一緒になっちゃえば?」 「ええ、まあ」 「ええ、まあって、ちゃんと聞いてるのか俺の話」 「ユキナにも都合がありますし」  するとイサオが軽くカウンターを叩いた。 「ショウ君ってさあ、イケメンのくせに、ちっとも女心をわかってないんだから。ユキナちゃんたまに来るのよ一人で」  ショウが口を噤んだ。この二人の口ぶりからすると、T社長もイサオの店でユキナと居合わせたのだろう。ユキナの気持ちはわかっている。済まないと思っている。二人で会う時は、そんなことを口にしたことはない。昔からそうだった。 「お前の気持ちもわかるけどな。生き別れた弟にも再会できたんだろう? 少しは彼女の気持ちも考えてやれよ。そこまで頑なに生きる意味って何なんだ? まさか両親を殺した犯人に復讐しようだなんて馬鹿なこと考えてんじゃないだろうな? そんなことはやめておけ。例え犯人を見つけて復讐を果たしたところで、お前の両親は帰って来ない。それより、お前自身の人生を生きる方が大切なんじゃないのか?」 「そうですね、それはわかっています。ですが、今は・・・・・・」 「そんなに甘くはないぞ。いくらお前が刑事だからといって、国内のヤクザ相手にするのとはわけが違う」  ショウが頷いた。T社長が咥えていた煙草を灰皿で揉み消した。 「で、あてはあるのか?」 「ええ、二年前に上海で、当時のことを知っている人物の存在を知りました。その男は二十五年前、歌舞伎町にいた台湾マフィアで、今、弟が調べているはずです」 「何だ、お前の弟も刑事か?」  ショウが首を横に振った。T社長が顔を上げた。目が合った。 「ま、まあいい、そんで、そいつはどんな奴なんだ? さすがの俺も二十五年前の歌舞伎町のことは知らねえが、有名なマフィアなら、名前くらい聞いたことがあるかも」 「それが、ちょっと・・・・・・」 「何だよ、お前らしくない」 「ヤマモトの親父さんにでも聞いてみるか」 「ヤマモトギンジさんのことでしょうか?」 「おお、何だショウも知り合いか?」 「個人的に知り合いというわけではないですが、ヤマモトさんは歌舞伎町の町会長をされていたので、我々警察では広く知られた存在です」 「そうか、あのおっさん、そんなに有名人なのか」 「と言っても、僕は歌舞伎町で弟を探している時に知り合ったんですけど」 「あのおっさんは俺が二十歳くらいの時には既にこの一帯の顔だったからな。もう歳とっちゃって引退したけどな、昔はヤクザも黙るヤマ銀とか言われてな、今は息子が歌舞伎町で商売やってるよ」 「そうだったんですね、あの穏やかで物静かなヤマ銀さんが」 「でも昔、そう言えばお前の両親の事件のこと聞いてまわっていた時、一度だけヤマ銀さんに忠告を受けたことがあったな。あまり深く関わるなよって」 「ヤマ銀さんは、何か知っているのでしょうか?」 「ショウ・・・・・・」 「何でしょうか」 「ヤマ銀さんを探るのだけはやめておけ」 「T社長、ヤマ銀さんが関わっているとでも?」 「いいかショウ、よく聞けよ。歌舞伎町には幾つかのタブーが存在する。ヤマ銀さんの過去を探るのもその一つだ」 「何者なんでしょうか? そのヤマモトギンジという男」 「歌舞伎町の不動産王ってとこか。いや歌舞伎町だけじゃない。池袋、渋谷、六本木、全国の至る所に土地やビルを持っている。世界中と言っても過言ではない。勿論、名前なんて表に出てこない」 「どうやってそんな資産を築いたんでしょうか?」 「見た目は気さくなおっさんだが、昔はこの辺り一帯の地上げ屋だったと聞いたことがある。けれども歌舞伎町は戦前から台湾や中国のマフィアが蔓延っていて、そう簡単なことではなかったはずだ。土地を買収するためには、国内のヤクザだけではなく、海外のマフィアとも折り合いをつけねばならなかったろう。複数の会社を経営し、その法人に土地とビルを買わせ、会社の利益を残らず投資にまわし、今では日本有数の資産家さ。悪どいことも相当やってきたと思うぞ。脱税と風営法違反で二度刑務所に入ってる」 「なぜ、ヤマ銀さんを探ってはいけないのでしょうか?」  T社長が鼻の頭を掻いた。 「それはだな・・・・・・いいか、誰にも話すんじゃねえぞ。それは、ヤマ銀さんを追及して行くと、この国の原子力行政の根幹にぶち当たることになるからだ。ショウは原子力ムラって言葉聞いたことあるか?」 「ええ、耳にしたことはあります。原子力行政に群がって、利益を得ている連中のことですよね」 「そうだ。その原子力ムラに対して、ヤマ銀さんは強大な権力を持っているという噂だ。原子力発電所を建設するには広大な土地と建物、そして地域住民の理解が必要だ。日本にある原子力発電所の多くは、ヤマ銀さんの力無くして成立しないとまで言われている」  ショウは原子力発電という言葉に、背筋に冷たいものを感じた。それと言うのも、祖父タザキコウゾウがその昔、原子力行政と対立していたと聞かされていたからである。 「だから、悪いことは言わない。深く探るのはやめておけ。新宿で商売ができなくなるどころか、日本という国に住めなくなる可能性だってある。警察の裏に手を回すことだって容易いことだろうな」 「くだらない、世の中ですね。金と権力なんて実にくだらない」 「ああ、本当にくだらない。くだらな過ぎて反吐が出る。だが、俺もお前も、そのくだらないものから逃れることなどできない」 「T社長、人はなぜ金や権力に執着し、そのためなら命までも粗末にできるのでしょうか? 私だって子供じゃありませんから、綺麗ごとを言うつもりはありませんけど、人は平等に必ず死を迎える存在であるのに、墓場まで金や権力を持って行けないことくらいわかりきっているというのに、人は欲望の果てを知らない」 「欲望の果て・・・・・・か」  T社長が再び煙草に火をつけた。
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