夏の終わりを抱きしめて

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 眠い目を擦りながら教室に入った僕は、琴葉(ことは)の異様な表情に釘付けになった。  二角(にすみ)琴葉――明るいクラスの人気者。そして烏滸がましいことに、僕の幼馴染。  彼女は僕の机の前で立ち尽くしていた。スマホを凝視し、体を震わせながら。いつもの快活さからは想像もできない雰囲気が、彼女の周りに漂っていた。 「琴葉……?」  思わず呟く。彼女はスカートを翻しながら勢いよく振り向き、僕をその瞳に映した。 「……夏樹(なつき)」  掠れた、耳にざらつく声。  そして彼女は唐突に、涙を零し始めた。真珠のような水の粒が次々と床に落ちる。 「えっ」  頭が真っ白になり、同時に心臓がぎゅっと締め付けられるように痛くなった。とりあえずハンカチを差し伸べる。琴葉が人目も憚らず泣くことなんて今までない。辺りが途端にざわめいた。 「おい」  江木(えぎ)という男子が僕に突っかかってきた。 「お前、二角に何した?」 「僕は……何も……」  目を逸らす。人と会話をするのは得意ではない。特に、今みたいに敵意丸出しで来られると、一目散に遠くへ逃げ出したくなる。  すると彼は大袈裟に肩でため息をついた。 「二角が可哀想だよ、こんなきもいオカルトオタクが幼馴染だなんて」 「……」  きもいオカルトオタク……間違ってはいない。僕はオカルト系の本や動画を見るのが好きだし、自分が気持ち悪い存在だと自覚している。琴葉を可哀想だと思っているのは僕だって同じだ。 「夏樹を悪く言うな」  急に、ドスの効いた声が琴葉から聞こえた。瞳は潤んだままだが、江木くんを睨みつける眼差しは威圧的だ。 「……え? 二角?」 「許さないよ、夏樹を侮辱するなんて」  江木くんは露骨に動揺していた。僕だって驚いている。彼に嫌味を言われることは日常茶飯事で、琴葉はその都度助け舟を出してくれるのだが、いつもは笑顔でサラッと話題を変えてくれていた。 「……な、何言ってんだよ二角。だって、見ろよ」  江木くんは僕の机の引き出しから勝手に本を取り出した。反論されると思っていなかったのだろう、彼の顔は半泣きだ。 「時間超越、呪い、予言……こいつ、こんな怪しいものをニヤニヤして読んで……」  言葉の途中で琴葉が江木くんの手首を掴んだ。半袖シャツの下から、少し日焼けした細い腕が覗く。 「だから? それで夏樹が江木くんに何か迷惑かけた? 好きなものがあることの何が悪いの?」 「……じ、じゃあ何、二角はそういうの信じてるの?」 「信じてるし、そもそも信じる信じないは夏樹を侮辱することと関係ない」  琴葉は冷たく言い放つと、軽く目元を擦った後自分の席に戻っていった。江木くん、そして周りの人たちは呆気にとられている。僕は思わず琴葉に駆けようとしたが、朝のホームルーム開始のチャイムに阻まれた。入ってきた担任に「席着けー」と急かされ、止む無く自席に行く。ちらりと琴葉に目を遣ると、彼女はスマホをいじって何かを検索しているようだった。  その後、彼女は休み時間の度に教室から飛び出していった。いつもと異なる彼女の様子に、教室では心配の声が飛び交う。 「今日の琴葉どうしちゃったんだろうね」 「さあな……。休み時間はどこかに電話してるっぽいぞ。『今日じゃなきゃダメなんです』って言ってた」 「あたしが聞いたのは『検査をさせて』とか……。何の話? 誰か知らない?」  僕にも心当たりなんて、全然なかった。  その後、僕が琴葉ときちんと対面できたのは昼休みのときだった。僕が弁当を食べようと訪れた場所に、琴葉が先客で座っていた。「夏樹」と声をかけてきた彼女の表情は、まるで僕がここに来るのを予知していたようだった。
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