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十月二十二日(土曜日)
この日の稲置市は
朝から秋晴れに澄み上がっていた。
浜ノ町西三丁目の裏通りに
年季の入った二階建てのアパートがある。
アパートの古い館銘板に
『葉隠荘』
の文字が辛うじて読めた。
昼下がり。
二階の角部屋のドアが開いて女が姿を現した。
女は階段を下りるとそのまま表通りへ歩を進めた。
通りを挟んだ向かいに
『空き日と』
という名の小さな整体院があったが、
数日前から閉まったままだった。
女はその店の前を通り過ぎて
その先にあるバス停で足を止めた。
そこは先ほど女が出てきたアパートから
一番近いバス停だった。
バス停には誰もいなかった。
しばらくしてバスがやってくると、
女はそのバスに乗り込んだ。
するとその後からもう一人、
黒いドレスの女が駆け込んできた。
女が前から三列目の席に座ろうとしたその後ろを、
黒いドレスの女は素早く通り過ぎて
最後部の座席に座った。
バスの中には数人の乗客しかいなかった。
突然現れた二人の美女に乗客達は目を奪われた。
バスは静かに走り出した。
バスが稲置駅に着いたとき乗客は二人だけだった。
女が先に降りて、
黒いドレスの女がその後に続いた。
バスを降りた女は駅ビルとは反対の方向へ
歩き出した。
駅前の大通りの赤信号で女は足を止めた。
人通りは少なく大通りは寂しかった。
近年、稲置市は郊外に相次いで
大きな商業施設が建ち、
そのため市街地の活気がなくなりつつあった。
車社会でもあるこの街では、
駐車場の心配がない郊外へと人が流れるのは
或る意味必然だった。
信号が青に変わり、
女はゆっくりと歩き出した。
すれ違う男達の視線が
自分に注がれていることを女はわかっていた。
横断歩道を渡り終えると、
女はアーケード街の入り口にあるコンビニへ
足を向けた。
しかし女はコンビニへは入らずに、
その横の狭い階段を上っていった。
階段の脇には小さな看板が置かれていて、
『珈琲無愛想』
の文字が読めた。
階段を上がるとすぐ目の前にドアがあった。
ドアノブにかけられた小さな黒板には
「ホットプレスサンドセット 七百八十円」
「本日のスペシャルティ ゲイシャ」
と書かれていた。
女がドアを開けて中に入ると、
カウンターに座っていた二人の男が振り返った。
一人は三十代の男。
もう一人は還暦を過ぎた白髪交じりの男。
二人は女の美しさに目を奪われた。
女は男達の視線を認めつつ
ゆっくりと店内を見回した。
狭い店内には目の前にカウンター席が六つ、
左手には壁に沿ってテーブル席が
四つL字型に並んでいた。
一番手前のテーブル席には
若いカップルが座っていた。
女は奥へと進んだ。
テーブル席に座るカップルの横を通り過ぎた時、
男の方と目が合った。
それは一瞬だったが、
その一瞬で女は魅力的な自分の容姿に
男が心を奪われたことを理解した。
女はそのまま一番奥のテーブル席に座った。
女が席に着くと、
店内でただ一人、
女の美しさに何の反応も示していなかった
年配のマスターがやってきた。
「いらっしゃいませ」
マスターは無駄のない動きで
テーブルに水とおしぼり、
そしてメニューを置いた。
女はメニューを見ずに
ホットプレスサンドセットを注文した。
マスターがメニューを持ってカウンターに戻ると、
再び入り口のドアが開いて
黒いドレスの女が入ってきた。
カウンターに座っている男達の視線が
ふたたび入り口に集中した。
男達は黒いドレスの女の美しさに驚いたものの、
その格好に目が釘付けになった。
流行に敏感な若い方の男は、
ハロウィンの仮装には
まだ少し早いのではないかと首を傾げ、
白髪交じりの男は、
外国の人形さながらの姿に圧倒された。
それでも二人は
その大きく開いた胸元に頬を緩ませた。
黒いドレスの女は男達の視線を無視して
奥へと進んだ。
途中テーブル席の若いカップルの横を
通り過ぎた時、
男の方は黒いドレスの女に目を奪われた。
しかし黒いドレスの女の視界に
男は入っていなかった。
黒いドレスの女はゆっくりと、
窓際の一番奥のテーブルへと歩いていった。
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