十月二十二日(土曜日)

3/13
前へ
/136ページ
次へ
女がグラスの水を飲んだ。 そして口を開きかけたが 結局のところ言葉は発せられなかった。 女は窓の外に目を向けた。 「ご主人が大変な時に、  こんな所でのんびりしてて大丈夫なの?」 何の前触れもなく黒いドレスの女が切り出した。 女の顔に緊張が走った。 女は改めて黒いドレスの女を見た。 やはりこの黒いドレスの女は 自分を知って近づいてきたのだ。 しかし女には心当たりがなかった。 たしかにここ数日、 例の事件と事故で マスコミに顔を晒すことはあったが、 見ず知らずの人間から それを理由に話しかけられたことはなかった。 もしかしたらこの黒いドレスの女は マスコミ関係者かもしれないと思った。 雑誌の取材か、 それともテレビ出演の依頼か。 殺人鬼の魔の手から逃れた美魔女。 束の間の幸せも、 夫を事故で失い未亡人となる。 女の頭の中でそんな見出しが浮かんだ。 自分の美貌は悲劇のヒロインを演じるのに 申し分のないモノだとわかっていた。 そこまで考えてから、 女は夫がまだ死んでいないことに気付いた。 女の口元が自然とほころんだ。 「自己紹介が遅れたわね。  私はこういう者なの。  少しあなたとお話がしたくて」 黒いドレスの女はどこから取り出したのか 一枚の名刺をテーブルに置いた。 それは目の前の黒いドレスの女の服と同じ 真っ黒な名刺だった。 女はそれを手に取った。 そこには白い文字で 「武衣実果」 の文字が書かれていた。 そして「実」という文字だけが真っ赤だった。 その名刺は そのまま目の前にいる黒いドレスの女を 縮小させたかのようだった。 しかしこの名刺からわかるのは 黒いドレスの女の名前だけだった。 これほどに意味をなさない名刺が この世に存在するだろうか。 だがこの名前、 女はどこかで聞いた記憶があった。 しかしそれがどこだったのか 女には思い出せなかった。 会ったことがあれば忘れるはずがない。 この美しさだ。 もしかしたら 服装が違っていたのだろうかと考える。 日常的にこの姿とは考えにくい。 といっても今は仮装する時期には早すぎる。 ハロウィンまではまだ一週間以上もある。 「聞きたいことは  あなたが犯した二件の殺人事件について」 黒いドレスの女の言葉に女の表情が固まった。
/136ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加