十月二十二日(土曜日)

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女は咄嗟に周囲を見回した。 黒いドレスの女の声は 他の客には届いていないようだった。 女は小さく息を吐いた。 「あなたが大烏亜門を殺そうとしなければ、  私は真相に気付くことはなかった。  なぜこんなに早く彼を殺そうとしたの?  あなたらしくない。  じっと待つのは得意でしょう?」 その時、女の頭にある考えが浮かんだ。 この街にいるという 奇抜な格好をした名探偵の噂について。 女はその名探偵とは てっきり大烏亜門のことだと思っていた。 たしかに彼の格好は その容姿と相まって滑稽に見えたが、 スーツという点でいえばごく普通だった。 しかし今目の前にいる黒いドレスの女の格好は、 奇抜という言葉がぴったりと当てはまる。 まさか目の前のこの黒いドレスの女が 噂の名探偵なのか。 女の頭の中で警鐘が鳴った。 「何を仰っているのかわかりませんわ」 女は至って冷静に返した。 「八木明人が犯人とされている  二件の殺人事件についてよ」 間髪を入れずに黒いドレスの女が畳み掛けた。 黒いドレスの女の言葉には 目上の者に対する敬意はなかった。 「私はその三件目の  被害者となるところだったのです。  それを主人が救ってくれたのです」 女はグラスの水を飲んだ。 「そのご主人は今や病院のベッドの上で  死にかけている」 女は黒いドレスの女の顔を正面から見つめた。 「秘密を守る一番最善の方法は、  秘密を知っている人間を殺すこと。  そう仰りたいのですか?」 「あなたの主張を裏付けているのは唯一、  ご主人である大烏亜門の証言だけ。  それに彼が死ねば  遺産というおまけもついてくる。  願ったり叶ったりよね?」 黒いドレスの女はそう言って見つめ返した。 女はにこりと微笑んだ。 この笑顔が多くの人間を魅了することを 女は知っていた。 それが男だけでなく同性にも有効であることも。 「八木明人が犯人でないことを証明するのは  それほど難しくはないわ。  警察の捜査情報を  犯人であるあなたに話すのは  どうかと思うけど、  二件の殺人事件の被害者二人と、  八木明人の過去の暴行事件の被害者達には  明確な相違点があるの。  それを考えれば  彼が犯人ではないことは明白なのよ」 黒いドレスの女は女の微笑みを無視して 窓から下の通りを覗いた。 「八木明人の暴行事件だけど、  彼は裸にした女性の体を前に  自分で欲望を処理していただけなの。  実際に行為に及ぶことはなかった」 黒いドレスの女は改めて女の方へ目を向けた。 「・・そうですか。  ですがそれが一体どうしたというのですか?」 女はふたたび微笑んだ。 その笑顔に 黒いドレスの女は開きかけた口を一度噤んだ。 二人の間に沈黙が流れた。 黒いドレスの女は 何を話すべきか思案しているようだった。 女は優雅に髪を掻き上げた。 「どうしました?  もうお話は終わりですか?  それなら・・」 「でも不思議なことに。  二件の殺人事件の被害者達の膣内には  裂傷が見られたのよ。  さらにそれは死後につけられた  痕跡だとわかった」 そう言った黒いドレスの女の表情には 微かな迷いが見えた。
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