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1-6
「我が名において命ず」
幼い少女の声が、白亜の玉座の間に響いた。齢十にも満たぬ、この国の王だった。
「我が兄、フリード・ダペルカン・アンブロシアよ。輪廻の元、今代にたどり着いた厄災を、偉大なる賢者と共に討ち果たせ」
「仰せのままに、我が王。このフリード、最後の厄災を倒し、真の祝福をこの国にもたらしましょう」
少女はフリードの子供に頷くと、声高らかに告げた。
「民に伝えよ。これより我が国は第九番目の厄災を討つべく臨戦態勢に入る。此度の厄災に対し、我が兄フリードを勇者に任ずる。我が国の貴族、騎士、そして民よ。皆、総力を挙げ、厄災を討ち取るのだ」
「フリード」
甘くて、まろい声が己を呼び止めた。
「……マリベルか」
玉座の間を出ると、日光差し込む回廊によく見た顔があった。男にも女にも似つかぬ顔、うつくしい虹色の髪、この国を象徴するかのような白いローブ、手元にある杖は色とりどりのリボンが巻かれている。その声は確かに男のものだ。
男の名はマリベル。古くからこの国を守ってきた賢者である。
「その様子だと、いよいよ女王から勅令を受けたようだね」
「あぁ。ようやくこの時が来た」
フリードは前代王の長男として生まれた。代々王族では、一番目に生まれた子供(長男または長女)は厄災を倒すために教育される。厄災との戦いは苛烈を極めるものであり、実際に敗北し命を落とした者もいる。そのため、厄災を倒すための英雄として育てられる一番目の子供は、その死亡率の高さ故に王位継承権が付与されない決まりとなっている。
前代王が崩御したのはつい最近のことだった。彼の後任となったのは、しきたり通りフリードではなく、妹のクルルであった。まだ子供の域を出ない妹は、母親やマリベルの指導の元で国を動かしていた。
「ようやく、俺も、国の為に力を発揮出来る……!」
フリードには王位継承権がない。英雄として育てられてきたフリードにとって、今日ほど待ちわびた日はないだろう。自分よりもはるかに幼い妹でさえ、玉座について指揮を取っているというのに、自分は“その時”のために何もさせて貰えずにいた。なんと歯がゆい日々だったか。
それが今日、ようやく、解放された。
「それでは地下の国庫へ案内しよう。そこに、厄災と戦うための聖剣が封じられている」
マリベルはまるで自分の庭であるかのように、鼻歌を口ずさみながら先頭を歩いた。螺旋状の階段を降り、そこから更に魔道式昇降機で地下におり、マリベルの呪で扉の封を解く。
「あの聖剣を見るのも、実に百年ぶりだ。これが見納めだと思うと、心躍るねぇ」
「お前、いくつだよ」
「三百を過ぎてから数えるのやめた」
「マジかよ」
重い音がして徐々に扉が開いていく。そこには、かつての英雄が使ったとされる兜や鎧などが保管してあった。しかし――。
「は?」
「――おやおや、これは……空っぽだね」
マリベルが言っていた聖剣、と呼ばれるものはどこにも見当たらなかった。奥の方に台座の様なものが見える。本来ならば、恐らくあの台座に鎮座しているのだろう。
「おい、マリベル。どういうことだ。聖剣の管理はお前ら教会の役目だろ」
マリベルは台座の前まで行くと辺りを見渡すと、なにかに気づいたかのように杖で天井を指した。つられてフリードも天を見上げると、そこには大きな穴が空いていた。穴は地面を突き破り、地上へと出たらしい。青空が小さく、ここからでも確認できた。
「なっ……これは一体……」
「恐らくこれは……ふむ……」
「おい、説明を――」
「フリンデラ」
マリベルはフリードの言葉を遮り、もう一人の教育係の名を呼んだ。
「はぁい、賢者さま」
後ろから聞きなれた女の声がして、反射的に振り向いた。音もなく現れたのか、それとも元から着いてきていたのか、フリードには判別ができなかった。女は白い修道女の服を着ており、その目は真っ直ぐマリベルへ向けられている。
「フリンデラ、王子を部屋へ」
「かしこまりました」
「おい! どういう事か説明しろよ」
「私は聖剣の後を追う。説明はその後で」
マリベルはそう言い残して大きく屈伸した。刹那、姿が大きく歪曲し、天井の穴へと飛び立った。その姿を追ってフリードが穴を見上げた時には既にマリベルの姿はなかった。
「奴を追う」
「王子、それは行けません。賢者様の言う通り、お部屋でお待ちください」
「黙れ!」
「王子! ――賢者さまの言いつけを破るおつもりですか?」
途端、フリードの脳内に波紋が拡がっていく感覚がした。賢者様の言いつけ、という言葉が静かに脳内に、体全体に広がっていく。昂っていた気持ちが、不思議とだんだんと落ち着いていく。そうだ。俺は――。
「賢者様の、約束は、絶対……だな」
「そうです、フリード。賢者様はフリードのことを思って、貴方をここに残されたのです。大丈夫、事は全て上手く行きます」
「俺のことを……」
ふと、幼い妹の姿が、言葉の波紋を避けて脳裏に現れた。先代王は不治の病にかかっていた。容態が急変し崩御したのは昨年の春のこと。その後釜をまだ幼い妹が懸命に担っている。俺が優先すべきは王位継承権もない、ただ厄災を討つためだけに育てられた己のことか、それとも――。
「――すまないフリンデラ。突然の事で気持ちが昂っていたようだ」
「えぇ、フリードならわかってくれると思ってました。さぁ、お部屋に戻りましょう」
妹よ、兄は必ず、お前とこの国に祝福を。
聖アンブロシア王国 北部・ザンラード領城塞都市エスターテにて。
「やぁ、お疲れさま」
砕き、壊され、魔物が争ったような跡が生々しく残る街に、一羽の鳥が舞い降りた。それは地面に舞い降りてくると、虹色の髪を持った人型に姿を変えた。
この国の守護者、または古の大賢者マリベルである。
「賢者様! わざわざ起こしになるとは」
駆け寄ってきた衛兵ににこり微笑み、マリベルは辺りを見渡した。
「なに、ちょっと野暮用でね。……それにしても酷い有様だね」
「はっ。昨夜、一級相当の魔物が街に侵入した模様」
「なるほどねぇ……」
確かにこの被害は一級相当、あるいはそれ以上の魔物の仕業だ。しかし、街が壊滅しなかったのが運が良かったと言えるほどの被害の小ささだ。
「それで、その魔物は?」
「はっ。この街の住人の話によれば、一人の若者によって倒されたと……ちょうど、この噴水の辺りで」
衛兵が指さす方向には、見るも無惨な姿に変わり果てた大きな噴水が寂しい姿で鎮座していた。噴水の中央に据えられていた彫刻が打ち砕かれている。
「先に到着していた聖梟騎士の鑑定の結果、このようなものが見つかりました」
そう言って差し出されたのは、黒鉄の欠片だった。欠片と言っても大人の両手ほどある大きさだ。側面には従魔の刻印が施されている。
「……そうか」
マリベルは何かを悟ったように祈るように目を閉じた。
「この黒鉄には覚えがある。私が預かって置くと、聖梟騎士たちに伝えておいてくれ」
「はっ」
マリベルは黒鉄を魔空間へと送ると、再び辺りを見渡した。ふと、広場の一部が不自然に崩壊しているのが見えた。マリベルは屈むと、そのをよく観察した。指を入れると、底が台形となり、中央の一点に向かって深くなっていることがわかった。それは他の被害箇所に比べて明らかに平たく深い……まるで何かが突き刺さったような跡だった。
「衛兵くん、魔物は一人の若者によって退治されたと言ったね」
「左様であります!」
「その子の行方は?」
「それが聖騎士が到着した時には既にこの街を跡にしていたようで」
「誰か追ってるの?」
「いえ……他地域の魔物被害に人員が割かれており――」
マリベルは衛兵の言葉をさえぎった。
「なら聖騎士を派遣しても良い。その子の居場所、すぐに突き止めて」
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