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森の中を歩くのは気持ちが良かった。
木の根を渡り、岩を乗り越え、枝をくぐった。
途中、小さな滝を見つけ、その脇で母が作ってくれたおにぎりを食べた。
水は冷たく、飲んでみると甘かった。
おにぎりの具を当てるゲームをしながらそれを食べ、食事を終えると滝のしぶきを浴びて涼んだ。
山の景色はどこも同じように見えたが、よく見ると小さな発見があって面白かった。
集井村の付近であるだけあって、水がとても豊かだった。あちらこちらに清流が流れていた。
そうして自然を楽しんでいるうちに、日は傾いてきて、辺りはうっすらとオレンジ色になった。
僕らは川原に出た。
その川は緩やかに流れており、向こう岸までの距離は一〇から一五メートルほどに見えた。
流地川。
ふと、その名前が思い浮かんだ。
ずっと昔に聞いた名前。どうして名前が出てきたかはわからなかったが、この川にはそんな名前があったはずだ。
河岸は静かだった。
川の流れもゆったりに見えた。
先に走って行った秋が川に手を入れて遊んでいる。
「滑らないよう気をつけてね」
「春も触って。冷たくて気持ちいよ」
「どれどれ」
川へと近づく。徐々に足元が草から石へと変わる。
足の裏に石の動く感触がある。
徐々に胸の中で何かがざわめき始める。
水の流れる音が大きくなる。
鳥肌が広がる。
怒る与助おじさんの顔が浮かんだ。
そうだ、ここはおじさんに怒られた場所だ。子どもだけで近づくなと言われたあの場所。
首筋を汗が走った。
「秋、危ないからあまり川に近づかないで」
そう言いながら、僕は川を前に後退った。
「何で? 流れはゆっくりだよ」
「危ないかもしれないから」
気持ちの悪い感じが服の下を這いずり回っている。
「ちょっと具合悪いから休む」
川から離れる。
胸が苦しい。
「大丈夫?」
ズボンで手を拭きながら、秋がこっちへ向かってきた。
足元が石から土へと変わり、ほっと安心する。
大きな木の幹に寄りかかり、座った。陰に入ると風が涼しかった。
足が弾力のある何かにぶつかる。タイヤだった。
劣化したタイヤが転がっており、中には水が溜まっていた。その上を緑色の物体がうねうねと動いていた。
イラガだ。
体が痺れた。
その向こうの木の幹にも、数匹のイラガが張りついている。
見上げると葉の裏にも、うじゃうじゃ動くイラガがいた。
巣窟だ。
見上げたまま、体が震えて思うように動かなくなった。
「うわあ。すごい数だね。降ってくるかもしれないから離れよう」
秋に手を引かれて、その場を離れる。木が見えなくなってきて、ようやく震えが収まる。
「ありがとう、秋……」
「あんな場所あるんだね。春は近づかない方がいいよ」
恐ろしい光景だった。
「そろそろ帰ろうか」
辺りは暗くなってきていた。
懐かしさと、恐ろしさが織り混ざっていた。
身震いして家に向かった。
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