燃える初期衝動(「火山」「鍛冶屋」「ピーマン」)

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燃える初期衝動(「火山」「鍛冶屋」「ピーマン」)

 怒りにまかせて皿をごしごしこする。あちこちに飛んだ泡がいら立ちをつのらせる。たまった食器は洗っても洗っても減る気がせず、怒りはだんだんと虚脱感に変わっていく。  すこしだけ冷静になった頭で、さっきの出来事について思い返した。  きっかけは、トモキがピーマンを残したことだ。  私は疲れてパートから帰ってきた後、いつも通り夕飯の準備にとりかかった。料理は苦手なのだが、息子のためならと毎日三食手作りしている。好き嫌いの激しいトモキのために、細かく刻んだピーマンを混ぜて炒め、ピラフを作った。  おもちゃで遊んでいた息子を呼ぶ。片付けを嫌がってだだをこねるともきをなんとかなだめ、食卓に座らせてスプーンを持たせた。私の方は、フライパンや調理道具を片付け、明日は雨だと思い出して洗濯機を回した。ちょうど洗剤が切れてしまった。明日忘れずに買いに行かなくては。  部屋に戻ってきてみると、トモキは食卓の横の床で、おもちゃを広げて遊びはじめていた。食べ終わった皿を見ると、緑色のものが見える。ピーマンだけが器用にえり分けられて、残してあった。  それを見たとたん、怒りがふつふつと湧き上がってくる。いけない、と思ったが、気づけば私は低い声で、 「トモキ、これなに」  と口に出していた。  んー? と生返事を返すともきに、私はさらに言葉を重ねる。 「んーじゃないでしょ。 ピーマン残しちゃだめって、前から言ってるじゃない」  トモキはこちらを見ることもなく、おもちゃの車をいじりながら、言った。 「だってー。おいしくないんだもん」  それを聞いて、私は爆発した。  机を思い切り叩く。大きな音に、息子はびっくりしてこちらを向いた。  ピーマンが載った皿を乱暴につかみ、中身をゴミ箱にぶちまける。 「そうですか! じゃあ、もうごはんつくりませんから」  息子は停止し、やがて大声で泣き出した。ああ、面倒くさい。  私はそのまま部屋を出ていく。寝室に戻り、しばらくして洗い物のためにキッチンへ行った。息子は自分の部屋に戻ったようで、さっきまで遊んでいたおもちゃが床に散乱していた。  洗い物が終わっても、ベッドに潜りこんだ後でも、私のイライラは収まらなかった。いつも頑張っているのに、嫌なことでも我慢しているのに、だれもほめてくれる人はいない。  隣のベッドを見る。今日は帰りが遅いようで、夫のベッドは空だ。  明日は土曜日で、仕事は休みだ。これから寝て起きて朝になったら、あいつにこの不満をぶつけてやりたい。いつも家事を手伝わないのだから、それくらいして当然だ。  そう考えると少しはせいせいして、その日は眠りにつくことができた。  翌朝、朝7時ごろに私が目覚めると、ベッドわきの机で夫が書き物をしていた。  まだ眠気の残るままに、部屋をなんとなく見渡す。ベッドを二つ置いた部屋は狭く、壁際全体を埋め尽くす本棚が、圧迫感を与えてくる。本棚からあふれた本の山が、ベッド脇の床まで侵食してきている有様だ。  何度もなんども、いいかげん本を捨ててほしいと頼んでいるのに、のらりくらりとかわされ、今の状態が続いている。ああいやだ。だんだんと昨夜の怒りを思い出してきた。  「ねえ」と声をかけると、夫は手を止めてこちらを振り返った。パジャマ姿のまま作業をする、だらしない姿だ。 「いつになったら、本捨ててくれるの」  私の声色からなにかを察したようで、夫は「どうした、なんかあったか」と言ってくる。こうして分かった風な言葉をかけるくせに、いつも行動がともなわない。そういうところが嫌いなんだ。出会った頃は、博識で優しいところが好きだ、なんて思っていた。もう遠い昔のことだった。  私は昨日のピーマン事件のことを話した。夫は笑って言った。 「そうかそうか。それはトモキも災難だったなあ」  その態度に、ますます腹が立ってくる。 「なにがおかしいの。好き嫌いしてるともきが悪いんじゃない」 「ママが怒るのは自然現象みたいなもんだからなぁ。まるで火山の噴火だ」  そう茶化されて、私は頭に血が上ってくるのを感じた。 「また、バカにして……」  私はもう爆発寸前だった。しかし、その後の夫の言葉は予想外のものだった。 「その火山の熱を、何かに生かせればいいんだがなあ……そうだ、鍛冶屋でもやってみれば」 「……は?」 「ファンタジーとかでもよくあるだろ。火山のふもとの鍛冶屋では、良質な鉄製品ができる」  いきなり何を言い出すんだ。ファンタジーだとか、鍛冶屋だとか、意味がわからない。 「鉄は熱いうちに打て、って言うよな。ママならきっと、いいものが作れるんじゃないか」  それだけ言って、夫はさっさと書き物に戻ってしまった。  私はしばらくあっけにとられて、その場に突っ立っていた。また、なんとなくごまかされてしまった。納得はいかなかった。しかし不思議と、怒りはどこかへ消えていた。  顔を洗いに部屋を出るとき、何かを踏んだ。足をどけると、文庫本があった。なんだか見たことがあるようなないような、そんなタイトルと作者だ。  邪魔だったので、とりあえずその本を拾った。どこに置くか迷って、リビングにある料理本の山の上にそれを投げた。  朝食の準備をしていると、ちらちらとその本が目に入ってくる。そうすると、だんだんと中身が気になってきた。  掃除機をかけ、洗濯物を部屋干しし、昼食の準備まで少し時間ができた。食卓に座り、文庫本を手に取る。少しのひまつぶしのつもりで、私は表紙をめくった。
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