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「ええと、なんで、と言われましても……ただ、感じたことをそのまま伝えているだけで。あ、でも、私、食材に詳しくないので、調味料や果物の種類とか、名前がわからないものはたくさんあるかと」
当然のように答えるくるみに、彼は口元に手を寄せると、眉間に皺を刻んだ。
ざっくりと食材を当てることは、そこまで難しくないだろう。しかしくるみは、微量のレモン汁やごま油、無塩バターやマーガリンの違いに、使用している青果の具合まで当てて退けた。
ごく稀にいる、なんの訓練をしなくても、少し口にしただけで、その料理になにが入っているのか、すべて把握してしまう者。
――神の舌――。
聞いたことはあったが、まさか本当に実際するとは思わなかった。しかも自分の前に、このタイミングで現れるとは、一体なんの導きだろうと、この店のオーナーパティシエは内心唸った。
そして、速やかに次の案を弾き出す。
「歳はいくつだ? 学生か?」
「いえ、学生では、ないです……一応、社会人で」
学生というワードに敏感に反応し、社会人に『一応』をつける。突然俯き加減になるくるみだが、すぐに顔を引き上げる言葉が降ってくる。
「なら話が早い」
彼は先ほどよりも近い距離で、くるみを見下ろしていた。
「うちで働いてくれないか」
形のいい唇が繋げる文字に、理解が及ばないくるみは、茫然と立ち尽くす。
「ハ……? え、あ、あの」
「今の仕事よりいい条件で雇う。住み込みで家賃はいらない」
「いやっ、ちょ、ちょっと待ってください!」
散々流されはしたものの、さすがにここは頷けまいと、くるみは精一杯の声を張り上げた。
次々と更新される新たな誘いに、脳がオーバーヒートして目が回りそうだった。
――今、この人、私を店に呼んだ? 一緒に働こうって? しかもとんでもなくいい条件で……いや、ないない。そんな上手い話、絶対ない。万が一あったとしても――。
この店の外観や、街並みが思い起こされる。こんなオシャレで日の当たる場所に、自分がいることを想像できなかったくるみは、震える両手でTシャツの裾を握りしめた。
「わ、私、なんかが、こ、こんな、キ、キラキラ、した場所で」
「きらきら?」
「絶対無理です! ごめんなさい――!」
くるみは思いきり頭を下げて体を反転させると、走ってイートインのテーブルに置いたリュックを掴んで店を飛び出した。
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