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しかし、くるみが入店したのに「いらっしゃいませ」の一言もない。それどころか、ショーケースの向こう側に立つ従業員は、なにやら小声で話し合っている。
あまりに地味で暗い客が来たから、みんな引いているのだろう。
そう思ったくるみだったが、後戻りはしない。最後の晩餐、死ぬことを考えれば、周りの目はそこまで怖くない。とはいえ、慣れない空間の上に、客はくるみ一人、緊張するのも無理はなかった。
誰とも目を合わさず、錆びたロボットのように、ぎこちない足取りでショーケース前に到着する。
広い横長のガラス棚の、端から端まで視線を行き来させれば、ポツンポツンとまばらに配置されたケーキが見えた。全部で五つほどだろうか、早くショーケースを離れたい焦りと、どれも美味しそうで一つに決められない気持ちが、くるみの中でせめぎ合う。
そして――。
「こっ……ここにあるやつ、ぜんぶ、くだひゃい!」
やってしまったと、くるみは思った。
人生で一度は言ってみたかった台詞、ブティックや宝石店ではないが、普段節約生活を強いられているくるみにとっては、ケーキのまとめ買いは十分な贅沢であった。
しかし、謎の達成感は長くは続かない。
「あ、あの、申し訳ありません、こちらはすべてお取り置きの品でして……」
与えられた無慈悲な言葉に、くるみはようやく顔を上げた。すると、ショーケースを挟んだ先に立つ従業員と目が合う。
ボルドーのハンチング帽にエプロン、二つのボタンが縦に並んだ白いコックコートを着た女性だ。二人とも同じユニフォーム姿で、困ったように顔を見合わせる。
「看板、出してなかったっけ?」
「ちゃんと出てますけど……」
こんなオシャレなケーキ屋に慣れていないくるみは、従業員のやり取りの意味がよくわからない。
ただ一つ明らかなのは、もうケーキがないということ。
目の前にはあるのに、自分のものにはならない。そんなことも知らずに声を張り上げて「全部ください」なんて言ってしまったことが恥ずかしく、肩を縮めて床を見た。
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