1.誘われる。

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 淡いキャラメルブラウンの耳に、ドーム型をしたオレンジ色の顔には、チョコレートでつぶらな目と鼻、数字の3を横にしたような口が描かれている。しかもまつ毛がついていて、ほっぺは花柄になっていた。  ――ク、クマさんだ……しかも、女の子の……!  ピカピカの真っ白な皿にのった、なんとも愛らしい姿に、くるみは思わず片手を口に当て感激に打ち震えた。 「か……かわぁぁ……!」  これは写真を撮らなくてはと、急いでリュックの中からスマホを取り出すくるみだったが、かまえたところでふと、今から死ぬ人間に思い出なんて必要なのかと疑問がよぎる。  いやしかし、こんな愛らしくて美味しそうな物体を前に、シャッターを切らずにはいられない。一度動きを止めて考えた末、冥土の土産に……と自分を納得させる理由を見つけて、カメラのマークをタップした。  古いスマホなので性能が悪く、撮影も不慣れなため、奇跡の一枚とはいかない。それでも液晶画面にとどまった被写体を見つめて、くるみはじんわりと嬉しくなった。が、その直後、大事なことに気づくと、スマホから顔を上げてすぐに横に立つ彼を見た。 「はっ、す、すみません、お代を!」 「試作品ですので、お代はけっこうです」 「え!? そ、そんな!」 「……味の保証はできませんが」  こんなオシャレな街に店があるだけで、味は間違いないと思われるが。この時の彼のふとした表情に、僅かな陰りがあるのを、くるみは感じ取った。  だからくるみはそれ以上はなにも言わず、スマホをリュックにしまうと、改めてケーキと対面した。  姿勢を正して両手を合わせ、静かに目を閉じて息を吸う。 「いただきます……!」  まるで数万円もする、高級料理をいただくかのような振る舞いに、傍らに立った青年は少し不思議な気持ちになった。大袈裟であっても、自分が作った品を大切に扱ってもらって、嫌な気になる人間はいないだろう。  くるみは用意された銀色のフォークを手にし、クマの耳の部分を掬った。そして一口含んだ瞬間「んっ」と声を漏らし、カッと目を見開く。  それからしっかり噛んで味わった後、ようやくゴクリと飲み込むと、ほう……ととろけた瞳で頬に片手を添えた。 「この部分は栗が二種類使われてるんですね、栗本来の甘味を邪魔しないように砂糖は控えめで」  可愛くて食べるのがもったいないなんて最初のうちだけだ。一度口に含めば、またスプーンを進めずにはいられない。掘り下げるように掬われたクマの顔が、一口、また一口とくるみの舌に溶けてゆく。 「うーん、ほどよく熟れた柿のおかげでまろやかな口当たりに、アーモンドが使われているのは、柿の酸味を引き立たせるためでしょうか。ほっぺの白い花びらはホワイトチョコに豆乳も入っていて優しい甘さですね」  手は止まらないが、決して早食いではない。ゆっくりと味わうようにすべてを平らげたくるみは、フォークを皿の横に置いて、再び合掌した。
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