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「ご馳走様でした。全体的にレモン汁が含まれているからか、爽やかな後味でとっっっても美味しかったです」
「……んで」
くるみが満足な感想を伝えてすぐ、ポロリとこぼれた呟きを拾う。不思議に感じたくるみは、顔を上げて右隣に立つ彼を見る。するとまっすぐな眼差しとぶつかった。
「なにが……入ってるのか、わかるのか?」
「へ?」
マヌケな声を漏らすくるみの肩を、彼は骨ばった男らしい手のひらでグッと掴んだ。中腰になり、前のめりでくるみに迫る。その瞳は驚きと期待に震えていた。
「なにが入ってるのか、わかるのか、わからないのか、どっちだ?」
くるみにしか聞き取れない距離で、低くなった声が問いかける。なにが起きているのか、理解が及ばないくるみは、体を固めて青い顔をした。
「わ、わかり、ます……!」
とりあえず素直に質問に答えると、今度は青年の方が動きを止める。
そして急に黙り込んで、くるみの肩を離したかと思うと、ショーケースの方を振り向いた。
「悪いが、二人とも今日はもう上がってくれ、お取り置きの件は俺がきちんとしておくから」
言われた女性店員たちは、不思議そうに顔を見合わせると、頭を下げてショーケースを後にする。
「ちょっと、こっちに来てくれないか」
厨房に消えていった二人をぼんやり眺めていたくるみに、また思いもよらない声がかかる。
わけがわからず、返事に困るくるみに、彼は痺れを切らしたように行動に出る。
くるみのグレーのTシャツに隠れた、細い手首を掴んで、引き寄せたのだ。そしてその勢いのまま、ある場所に向かう。
椅子から強引に立たされたくるみは、足がもつれて転ばないよう、必死について行くしかなかった。「あのっ、ちょっと」と制する声も、耳に届かないらしい。そんな彼が立ち止まったのは、一般客禁制の職人の城だった。
広々とした室内に、銀色のシンクとコンロがついたキッチン台が、壁面に沿って並んでいる。奥の角に設置された業務用の冷蔵庫とオーブンは、小型のエレベーターのように立派だ。
それらの機器に囲まれるように、中央に陣取った長方形の作業台。その上には、ボールにホイッパーやゴムヘラ、フルーツカットに使われる小さな包丁や、軽量スプーンなどが置かれている。どれも白やオレンジ、チョコレートなど、さまざまな色のクリームがついていて、今まさに作業中だったことがわかる。
ガラス張りなので客席からでも中の様子は見えるが、実際入ってみると空気が変わるようだ。あらゆるスウィーツが生み出される特別な空間。ほのかな緊張感とともに訪れたのは――。
――あ、甘い……。
ベタベタしたしつこいものではなく、ふわっと砂糖菓子が舞い降りるような優しい匂い。臭覚を攫われたくるみがうっとりしていると、彼は作業台の前で立ち止まり、ようやく手を離した。
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