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「…なんでクレープ?」
「食べてみたかったんだよね。ほら、選んで。」
店の前に立つ大きなメニュー看板。いろいろな種類のクレープが上から下までびっしりと並んでいる。
「…じゃあ、このキャラメルカスタード。」
「私はイチゴデラックスにしよっかな。それでいいの?生クリーム入ってないよ。」
ショートパンツのポケットからおもむろに数枚のお札を取り出す。
「生クリーム苦手だから。というか、お金僕払う。」
ポケットの中から財布を取り出そうとすると、彼女は僕の腕を掴んだ。思っていたよりその手は小さかった。
「‘誰かに奢る’ってことも、やってみたかったの。」
パッと手を離した彼女はそう言って、店員に2人分のクレープの注文をして千円札を2枚差し出す。
「キミのも一口ちょうだいね。」
小銭をポケットに押し込んで、受け取ったクレープの1つを僕に渡した彼女は、その場ではクレープを口にせず歩き出す。無言で歩き出した彼女について行くと、誰もいない公園に辿り着いた。駅近くの通りから離れた公園は街灯の灯りが照らすだけ。迷いなく歩いていった彼女は、ブランコに座った。
「座ったら?」
渋々ブランコまで歩き腰を下ろすと、彼女は食べかけのクレープを差し出してきた。
「一口交換。」
僕はまだ食べていない自分のクレープを彼女に差し出して、代わりに彼女のクレープを受け取る。彼女が食べるのを見届けてから、僕も一口食べた。
「…あま」
思わず声が漏れるほど、ひどく甘かった。
「甘いね。」
フッと彼女が笑う。
「でも、おいしい。」
暗くてよく見えない横顔がそう言う。
「食べたらさ、2人乗りしようよ。」
「…なんでそんなこと」
「私もうすぐ死ぬつもりだからさ、」
彼女が笑う。
「やりたいこと、付き合ってよ。」
僕が断りづらいずるい言い方をする彼女。
「食べた?」
最後の一口を無理やり口の中に押し込んで、頷いた。クレープの紙をくしゃくしゃに丸めてショートパンツのポケットに入れた彼女は、ブランコを降りて僕に近付いて来る。
「足、入れるよ。」
僕の正面から、両側にサンダルを履いた足を入れ、立ち乗りする。目の前に彼女の下半身が立ちはだかる。目のやり場に困る。細くて白い足が体に当たる。手の中でくしゃくしゃになったクレープの紙を持ったまま、僕は慌ててブランコのチェーンを握った。
「全然上手に漕げないや。」
上から彼女の声が降ってくる。
「僕、降ります。」
「ダメ。」
彼女の声は少し楽しそうで。そんな声を出されたら無理やり降りることも出来なかった。徐々にスピードを上げていくブランコ。キィーキィーと不快な音をたてながら、生温い風を切るように揺れる。ブランコに乗ったのは、いつ以来だろう。誰かと一緒に公園に行った最後の日はいつだろう。俯いたまま、そんなことをふと考えた。
「あぁ、疲れた。」
しばらくするとそう言って彼女はブランコを漕ぐのをやめた。僕は座ったまま、彼女は立ったまま、ブランコは徐々に揺れが小さくなっていく。
「…よいしょっ」
小さくそう言った彼女はまだ揺れているブランコから突然飛び降りた。
「あぶなっ」
言いかけた時には、着地に失敗した彼女が地面に倒れ込んでいた。
「…え、大丈夫?」
なかなかの大転倒だ。
「…痛い。」
「…だよね。」
僕はブランコから下りて、地面に座り込む彼女の横に腰を下ろす。着地と同時にバランスを崩し、膝をついてしまったようだった。暗くてはっきりとは見えないけれど、彼女の右膝は土と共に血が滲んでいた。僕は立ち上がって、公園の隅の水道を目指す。ポケットに入っていたハンカチを濡らして彼女の元へ戻る。膝にそっと当てると、彼女の体がビクッと小さく震えた。
「私、ダサいね。」
「…否定はしない。」
「あはは、正直。あー、でも」
言葉を選ぶように、一瞬彼女は黙る。
「‘やりたいこと’とは違うけど、1つ叶ったかも。」
「どういうこと?」
上目でこっちを見る彼女と目が合った。
「…誰かに優しくされてみたかった、かな。」
ポツリと、呟くように言う。こんなことで?そう思ったけれど、口には出さなかった。
「キミは優しいねぇ。」
そう言って、彼女は僕の頭をそっと撫でた。
「足も痛いし、そろそろ戻ろっか。やりたかったこと、結構出来たし。」
そう言って彼女はゆっくり立ち上がり、お尻の土を払う。突然行き場を失ったハンカチを持ったまま、僕は歩いて行く彼女の後ろを黙ってついて行った。
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