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「思うと理不尽よの」
少し力を込めて殴れば、容易く吹っ飛んでしまう人間。
彼らと自分では立っている土俵が違いすぎる。
刀を保管していた部屋にいた人間を全員気絶させると、自分はゆうゆうと外に出て街に戻る。途中で追手の銃撃を受けたような気もするが、掠っただけなので放っておいた。
「やぁ君。なんだか騒がしいね」
楽しそうな顔をしながら、馴れ馴れしい犬売りが声を掛けてきた。
「今朝から変な噂でもちきりだよ。なんでも郷長の犬がいなくなったんだって。迷子か盗まれたのか知らないけど、いやぁこれは助かった」
「不謹慎じゃの。仮にも郷長ぞ」
微塵も思っていないが、一応こう言っておく。
「郷長に不満を持っている者は多いんだ。犬を大切にするのは大切だけど、人間の生活を疎かにするのは間違っている。これまでも何度も交渉してみたけど、『自分に逆らうのはお犬様に歯向かうも同然』とか言って、みんな牢屋に入れられて死んじゃった」
犬売りの男は飄々と話す。
「こうなったら強引に体制を変えるしかないって話になってさ。でも下手に襲撃なんかしたら、また犬を盾にされるかもしれないだろ」
「そうじゃの。あやつならやりかねん」
「だから助かったよ。どこの誰だか知らないけど、犬をあいつから引き離してくれて。お陰様で今頃、郷長の所に反乱者が向かっている筈さ」
郷長の家の方向から、激しい喧騒が聞こえてきた。
ガラスの割れる音。扉が突き破られる音。そして炎の音。
「そなたは昨日言ったな。わしのような不思議な人に会ったと」
「うんうん。言ったね」
「昨夜、郷長の家に妙な二人組が入って犬を攫った。断言はできぬが、概ねわしの同族ではないかと考えておる」
「そうなんだ」
「そなたはこの騒ぎについて、妙に詳しいな」
「そうかもね」
「二人がどこに行ったか知らぬか」
「知っているけど喋らないって約束なんだ。ごめんね」
喋らずとも分かる。
あの二人はこの郷にはいない。とっくに遠くに行っているだろう。
「この郷で他人の犬を盗むと、罪状は死刑一択だ。でもあの二人は郷の住人じゃない。この郷に住む人は誰も死なずに、法律も破らずに体制を変えられる」
「郷長の家と周りの建物が燃えておるぞ。あれは罪ではないのか」
「問題ない。あれは賊が放った火だからね」
彼の周りで、売り物の犬がキャンキャン吠えた。
街で起きている騒ぎの意味など、まるで理解していない声だった。
「この反乱の全ての原因はあの二人だ。犬が消えたのも、建物が燃えたのも、何人死んだとしても。全ては強大な力を持つ『根なし草』のせいだと言えば、どんな大惨事でも納得して貰える……分かるだろう? 」
「成程。それがこの郷の歴史になる訳じゃな」
もうこの郷に用はない。
会いたい彼らは行ってしまったのだから。
「次来た時は、もう少し良い郷になっていると思うよ。君がうちで犬を買いたくなるような、そんな場所にね」
猫が歴史を作る郷があれば、植物で歴史を作る郷があっても不思議ではない。
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