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自分が根なし草であると名乗るのを忘れた。
言わなくても分かるだろうとたかを括っていたが、よく考えたら自分も十年ほど根なし草に会っていない。滅多にない機会なのだから、あの二人に伝えておいても悪くなかったかもしれない。少し後悔し、自分は犬に問いかける。
「のぅまんまる。旅先にはきっと、お前と同じ犬はおらんぞ」
「わん」
「寂しくはないのか。こんな雑草についてきても退屈と思うが」
犬に問いかけるなど、我ながら馬鹿げている。
最初は邪魔だと思っていたが、暫くいると悪くないことが分かった。
例えば退屈な時、撫でていればなんとなくの退屈凌ぎになる。
「感情が読めんとやり難いの。さっきからずっと同じ調子じゃ」
犬は勝手にぽんぽん跳ねていた。
石だらけの河原でも平気なのは、一周回って凄いのかもしれない。
「あと二つほど郷を回ったら、刀の手入れをしに行こうと思う。のうまんまる。そちは鼻が効くのじゃろう。近くの郷の場所が分かるか」
無謀とは言え、ひとつは役に立って貰おうと尋ねる。
すると犬は理解したのか、はたまた偶然か。
くんかくんかと地面の匂いを嗅ぎ始めた。
「おぉ分かるか。良いぞ良いぞ。これでだいぶ楽になる」
太陽の位置を確認したり、北極星を辿ったり。
地図がない場所では面倒なことが多かったが、これなら楽になる。
「わん」
犬は川の方向へ歩いていく。
そこそこ水の流れは早い。なんだこいつ。水の上を行くつもりか。
それともあれか。ぞんざいな扱いに耐えかねたのか。
「犬よ、そこは危ないぞ。その短足では泳ぐ以前に溺れるぞ」
「わん」
犬は「任せておけ」と言わんばかりに歩いていく。
短足が水に着く。そのまま沈むか、或いは流されるか。
「わん」
ところが犬は足をぱたぱたと動かしながら、川の流れに逆らって向こう岸へと泳いでいく。体もちゃんと浮いている。なんだこの犬。変なところで凄い。
「そっちに郷があるのじゃな。やむなし。わしも渡るか」
少し力を使えば渡れない距離でもない。
それなりに消耗するが、ここはひとつ犬を信じてやろうではないか。
「お主やるの。泳ぎなら根なし草と渡り合えるかもしれんぞ」
「わん」
「最もお主のようなまんまるが、わしに勝つなど百年早いが……否、百年経ったらもうこの世にはおらんのか。動物の時間の感覚はよう分からん」
「わ」
「岸に着くぞ。ほれ、さっさと上がらんか……おい。わんはどうした」
犬の声が聞こえなくなった。
見るとなんということか、もう力尽きたのだろうか。
犬は途方に暮れた顔をしながら、川の流れに乗って流されていく。
「あの馬鹿犬っ。何をしておるのだ。流されているならせめてこう、『自分は危ないです助けてアピール』をしたらどうなのじゃっ」
もがくとか、吠えるとか。
そういった行動を一切せず、ただぷかぷかと流れていく。
確かに生存には最適の方法だが、違う違うそうではない。
「ほれ掴まれっ。犬の手で掴めるかは知らんが、無理なら噛めっ」
刀の鞘を差し出すものの、ここに来て犬、「なにこれ」顔。
さっきまで人間の言葉を理解出来ると思っていたが、駄目だこいつ。
「あぁもうっ、手間を掛けるでないぞっ」
全身の力を解放し、身体の周りに光を放つ。
これで暫くは水の影響を受けずに動けるが、何分消耗も激しい。
「引き上げたら覚えておれっ。しかと躾けてやる」
あんなまんまるでも、いつか役に立つ日が来る。
そう自分に言い聞かせながら、川に飛び込む昼過ぎだった。
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