【第3花】ナデシコ

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 自分が根なし草であると名乗るのを忘れた。  言わなくても分かるだろうとたかを括っていたが、よく考えたら自分も十年ほど根なし草に会っていない。滅多にない機会なのだから、あの二人に伝えておいても悪くなかったかもしれない。少し後悔し、自分は犬に問いかける。 「のぅまんまる。旅先にはきっと、お前と同じ犬はおらんぞ」 「わん」 「寂しくはないのか。こんな雑草についてきても退屈と思うが」  犬に問いかけるなど、我ながら馬鹿げている。  最初は邪魔だと思っていたが、暫くいると悪くないことが分かった。  例えば退屈な時、撫でていればなんとなくの退屈凌ぎになる。   「感情が読めんとやり難いの。さっきからずっと同じ調子じゃ」  犬は勝手にぽんぽん跳ねていた。  石だらけの河原でも平気なのは、一周回って凄いのかもしれない。 「あと二つほど郷を回ったら、刀の手入れをしに行こうと思う。のうまんまる。そちは鼻が効くのじゃろう。近くの郷の場所が分かるか」  無謀とは言え、ひとつは役に立って貰おうと尋ねる。  すると犬は理解したのか、はたまた偶然か。  くんかくんかと地面の匂いを嗅ぎ始めた。 「おぉ分かるか。良いぞ良いぞ。これでだいぶ楽になる」  太陽の位置を確認したり、北極星を辿ったり。  地図がない場所では面倒なことが多かったが、これなら楽になる。 「わん」  犬は川の方向へ歩いていく。  そこそこ水の流れは早い。なんだこいつ。水の上を行くつもりか。  それともあれか。ぞんざいな扱いに耐えかねたのか。 「犬よ、そこは危ないぞ。その短足では泳ぐ以前に溺れるぞ」 「わん」  犬は「任せておけ」と言わんばかりに歩いていく。  短足が水に着く。そのまま沈むか、或いは流されるか。 「わん」  ところが犬は足をぱたぱたと動かしながら、川の流れに逆らって向こう岸へと泳いでいく。体もちゃんと浮いている。なんだこの犬。変なところで凄い。 「そっちに郷があるのじゃな。やむなし。わしも渡るか」  少し力を使えば渡れない距離でもない。  それなりに消耗するが、ここはひとつ犬を信じてやろうではないか。 「お主やるの。泳ぎなら根なし草と渡り合えるかもしれんぞ」   「わん」 「最もお主のようなまんまるが、わしに勝つなど百年早いが……否、百年経ったらもうこの世にはおらんのか。動物の時間の感覚はよう分からん」 「わ」 「岸に着くぞ。ほれ、さっさと上がらんか……おい。わんはどうした」  犬の声が聞こえなくなった。  見るとなんということか、もう力尽きたのだろうか。  犬は途方に暮れた顔をしながら、川の流れに乗って流されていく。 「あの馬鹿犬っ。何をしておるのだ。流されているならせめてこう、『自分は危ないです助けてアピール』をしたらどうなのじゃっ」    もがくとか、吠えるとか。  そういった行動を一切せず、ただぷかぷかと流れていく。  確かに生存には最適の方法だが、違う違うそうではない。 「ほれ掴まれっ。犬の手で掴めるかは知らんが、無理なら噛めっ」  刀の鞘を差し出すものの、ここに来て犬、「なにこれ」顔。  さっきまで人間の言葉を理解出来ると思っていたが、駄目だこいつ。 「あぁもうっ、手間を掛けるでないぞっ」  全身の力を解放し、身体の周りに光を放つ。  これで暫くは水の影響を受けずに動けるが、何分消耗も激しい。 「引き上げたら覚えておれっ。しかと躾けてやる」  あんなまんまるでも、いつか役に立つ日が来る。  そう自分に言い聞かせながら、川に飛び込む昼過ぎだった。
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