日報

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日報

2023.12.10.0:32 麻生直美に電話がアドレスネームが、消えて居たのを伝えて、かなり動揺して居た僕は、慌てて居た。 彼女も不安、動揺を見せた。すぐに、また登録し直して!!と言われて、わかったと答えた。 しばらくして、直した。 一日家にいて、疲れた体が、正直に、睡眠欲を俺に訴えた。 身体は、規則正しく動き、朝八時半に目が覚めて、僕は下に降りて、朝ごはんとコーヒーを飲み、暫く家でブランチを見て居た。 映画コーナーでリリコが、対談で、嫌に印象に残る。 ふと、気になった。キタニタツヤは、普通の人なのに、メイクがマリリンマンソンなのが、不釣り合いに見えた。単純にマッチングしていないナ。 あのちゃんが、テレビに出てた。 脚を出して居なかったのが、残念だった。 尾崎世界観が、作詞した歌を歌う。 好きな歌詞だ。 あのちゃんは、Instagramライブの時に、小物を小細工していた。 僕は制作に没頭する本人と、彼女に癒されるサイドとのあいだに、立って居た。 僕は当時、悩みがあり眠れなくなっていた。 プロフに不眠症とご丁寧に書いている。 しかし、彼女は変だった。 僕の言っている発言に対して、其れ知らんし!!! と言われ、拾ってもらえなかった。 其れで、なんか話はそれ以上なく、芸能人との関係の線、つながりの線は無い。 メンヘラはそう言うことを引き合いに出して、怖いと言う偏見が正しいのか?わからないが、僕は、昔から著名人にフォローされて居ます、と書いて居た。そう言うふうに書いている人は弱い人なので、僕は余り好きでは無い。 そう言うふうに有名人にフォローされて居ます、と書いても、だから何?と突っ込まれたら、なんも言えねぇ。 そこではい終わり、そんなことより君ナニできるの? そこに論が向く。 そこで答えに窮して居た訳で、其れを一切やめて、本業の文章サイトへのリンクをnoteと並行して出したら、見事ハンチバックで文學界デビューを果たした、市川沙央にすぐフォローされた。しかし、僕はそんなことより、自分の女装姿こそ、理想だったので、そう言う見た目のインパクトで、彼女は引っかかったのだと想う。 僕は、noteに書いて居たものは100均一メガネと同等だと思っているので、其れは僕目線ではわからない。 メガネ屋だった、親父目線は、僕より審美眼が、あり確かだ。 当時の僕は不貞腐れながら、仕方なく、従った。 その後に、アカウントロックを喰らい、半日Twitterが、お陀仏だったのだが、その間に、花屋にフォロー外されるわで、散々だった。 花屋は女の仕事で、漢には地獄だった。 しかし、花屋の仕事は、とても、務まらない。 その間に、僕は何度も何度も飛翔を試みるも、やはり低速飛行になり、限界が来る。 そう言う末路を辿るのは、目に見えて居た。 いつも、低速になり、疾走が、歩くになる。 いつまでも長く働けないのだ。 長く勤める事、体力的に、長距離ランナーには、不得手だったと言える。 短距離走をコツコツと、細く続けることのほうが、結果的に長く続くんだ、と知った父は、仕事時間を少なくしてくれた。 何だったけ?ナニを言いたかったんだっけ? 答えが無い世界には、希望がない そんなことをずっと、僕は、小説家でも成し遂げられない、尾崎豊でさえ、教えてくれなかった正解を、自分自身と向き合い、自問自答している。 その只中にいたのが、ピエール中野だった。 彼は何度も何度も、挫けることなく、トライアンドエラーを繰り返して、脱帽する。 転げ回って、ぶつかって、思い切り、こけて、転がり続ける。 そんなローリングストーン 転がる石の様にディランみたいな、歌詞の様な人生を横転し、有言実行している。 その姿にリスペクトされている。 一方の僕は、有名になりたかった焦りは、ひと段落着いた。 その焦り、文学賞を取ることのみに、囚われて、今疲れ切って居て、現実を蔑ろにした、ツケが、そろそろ取り立てが、迫って居た。 それは、お金の問題だった。 それは現実問題だし、今の僕に立ちはだかるハードルだった。 永くその悩みに、僕は悩んできた。 しかし、自分の痛みを無視して、強がる程、僕は、イケメンでも無いし、クールでも無い。 僕は、ずっと、ずっと、初期の、最初の頃の、まだ、何も知り得なかった、あの当時の、幼かった弱かったあの頃の僕、子供だったあの、原点に、回帰している。 書くな、って声がした。 ここ迄にしときましょう。 問題は、また後でゆっくり考えればイイ。 僕が語り部として、語りたくなったら、また、深夜にでも浮上すれば良い。 息継が、難しくて、水泳ではカナヅチでした。 泳げないんです。 それは、僕から見て、溺れるし、不恰好に、ジタバタ水中をもがいている様は、無様です。 スイスイ泳げる様になるには、水の中で、永く息をできる様にならないといけません。 少なくても、ハッキリしている事は、水泳教室で、最初に教えられるのは、息を止める事ではなく、固くなった自分の身体を解きほぐす事でした。 そして、身体を楽にして、何も考えず、水が身体を絡めとる事に動じず、手を広げて、浮く事です。 海中に溺れない様にするには、服も脱ぐ必要があり、なるべく肌を出す事。溺れたら、まず服を脱いでと昔教わりましたが、今は違う常識が、指導されて居ます。 古くからある考え方も、歴史として、学ぶことの大切さも、教育課題として、とらえる契機を設ける必要が有りますが、何にも於いて、重要視しなければならない事は、私が今、大事にしなければならない事は、家族として、連絡をまめに取り合う事です。 家族間の繋がり、姉や弟と、意見交換。何かあったら、頼る、信頼する事でもあると言えるでしょう。 一人暮らしと言う将来的な不安より、今ここに焦点を絞る事でしょう。 その前に、先ず、体が悲鳴をあげているサインに気づく筈です。 其れを無視した、自分を大事にしなかったツケが、今回ってきただけなんでしょう。 この体の節々の痛みを、ねぎらい、今大事にいたわる事なのでしょう。
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