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第1話 現実が行先を変えた日
カタカタカタ、カチカチ――……。
モニターの光だけが辺りを照らす、狭く薄暗い部屋。
放たれた光を正面から受ける一人の青年は、手元のパソコンに手早く複雑なプログラムコードを入力し、複数のモニターを順番に見つめていく。
そして、左右に首を振って全てのモニターを確認しては打ち込んだコードを削除し、新たなコードを入力する。
部屋には彼の影だけが、まるで歪な操り人形のように薄っすらと伸びていた。
「理想、現実、希望、夢、そして欲望……。さて、一体どれが勝つ……?」
彼はそう小さく呟きながら、この作業をただひたすらに、何度も繰り返し行っていた――。
◆
「人生は二週目が本番だ」
そんなことが言えたら、願うことが許されたら、与えられた残りの人生は華やかになるのだろうか。
それが現実となれば、人は人を羨んだり、嫉み妬んだりすることも無くなるのだろうか。
答えは誰にもわからない。
人は人によって「作られた現実」の中で生き、「現実の範囲」で死んでいく。
これが当たり前の定理であるからだ。
「もしかすると、あいつは二週目の人生なのかもしれない」と思うことがあっても、それを証明することは出来ない。
「今のあなたも二週目の人生です」
そう言われて、誰も信じることが出来ないのと同じである。
広く縛られた人生で、狭い自由を堪能する。
「作られた現実」には、そんな「不変の真理」が確かに存在している。
だからこそ人類は今を、この瞬間を、精一杯生きていこうとしていた。
しかし、変わるはずのない真理の下にあった人類の「現実」は、歴史を繋ぐことで生み出された、たった一人の人物によって、少しずつ違う方向へと歩んでいくことになる。
そして、高梨成人もまた「行先を変えた現実」を体験する一人だった。
成人は数年前、吐き出す白い息で冷めきった手を温め歩いていたあの冬、とある人物によって創られた惑星へと家族四人で引っ越した。
今では年中、暖かく過ごしやすい気候を過ごしている。
というのも、新しく創られた惑星では季節の概念はない。
「今までの惑星基準」でいうならば、一年中春か秋、といったところだった。
この季節感の感覚のズレが、成人に新しい惑星に来たことを実感させる。
「俺の『二週目の人生』は、本当に上手くいっているなぁ……。あの日、ダメ元でも応募して良かった」
成人は暖かな陽の光を全身に浴びながら、ふと、人類の現実が、自分自身の人生が新しい方向へと進み始めた、あの日のことを思い出していた。
――十年前。
この惑星の教育方針が変わり、全ての子どもたちが英才教育を受けるようになってから、早くも幾年もの月日を重ねた。
その甲斐もあり年々、惑星各国で医学や技術を始めとする、あらゆる分野が飛躍的な成長を遂げている。
中でも宇宙科学に関する成長は、天才科学者、中瀬大吉の出現により著しく向上した。
中瀬は宇宙科学の第一人者かつ、「この惑星の頭脳」とまで呼ばれており、ついにはこの分野に携わる者のみならず、一般人までもが宇宙に存在する惑星の一部へと行き来できるレベルにまで発展させた。
今や海外旅行の感覚で、別の惑星への宇宙旅行に行くことは至極当たり前の話となっている。
従来、「公共交通機関の中で最も安全な乗り物は飛行機である」とされてきたが、中瀬はこの構図をいとも簡単に覆し、現在では「最も安全な乗り物といえば?」と問いかけると、老若男女問わず皆、口を揃えて「ロケット」と答える程になっていた。
当然、一般人がロケットに搭乗し、他の惑星へ行く際に事故が発生した事例は、ただの一度もない。
中瀬の誕生はまさに、「長い歴史が紡ぎ出した、人類の努力の結晶である」と言うものも少なくなかった。
これだけでも充分過ぎる功績だったが、あの日、中瀬がメディアに向かって放った発言で、この惑星に生きる全ての人類はこの上ない胸の高鳴りを味わうことになる。
そんな現実がすぐ目の前まで来ているとは知る由もなく、普段と変わらぬ日常を過ごしていた成人は、いつも通りの時間、会社へと向かう電車の中でスマートフォンを片手にネットニュースを読んでいた。
「へぇ、また新しい惑星へ旅行に行けるようになったのか。やっぱり中瀬大吉はすごいなぁ」
中瀬にはいつも心を踊らされる。
成人はそんな中瀬の言動に感心しつつも、どこか中瀬を同じ人類ではなく、遠い星の別の生き物だと思えてならなかった。
そうであれば、これまでの奇想天外な発想にも合点がいくし、並外れた頭脳を持っていることも頷ける。
――あるいは、「二回目の人生か」だな……。
ため息をつくように、成人は胸の内に言葉を吐き出した。
そんなことを考えていると、スマートフォンの画面に「緊急速報」の表示がされた。
「『緊急速報』だって? まさか惑星のお偉いさんでも亡くなったか……?」
成人がスマートフォンから同じ車両の乗客へと視線を移すと、成人と同じように他の乗客の顔色を窺う人たちが何人かいた。
その内の一人と目が合うと、どこか気まずさを覚え、成人は急いでスマートフォンへと視線を戻す。
そして、「緊急速報」のポップアップを人差し指で軽くタップし、記事を開いた。
「速報 中瀬大吉 緊急記者会見」
その見出しとともに、ライブ映像のリンクが貼られている。
成人は鞄からイヤホンを取り出し、スマートフォンと接続すると、迷うことなくリンクをクリックした。
間もなくして画面は切り替わり、大量のフラッシュが焚かれる中、画面中央の椅子に座った中瀬大吉の姿が映し出された。
その間も画面の右下に表示されている「視聴者数」のカウントは止まることなく増加の一途を辿り、瞬く間に驚異の三十億人を超えた。
数値に狂いが無ければ、この惑星に住む半数近くの人間が同時視聴している計算になる。
「おいおい、とんでもない数字だぞ……。こんなの、見たことない――」
成人は心の中で言うはずが、思わず言葉にして呟いていた。
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