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嵐の前
図書室は好きだ。
この静けさは宇佐美にとって平和の象徴と言える。
書き終えた手紙を封筒に入れて立ち上がると、ちょうど司書室から出てきた月代と目が合う。
「日曜なのに図書室にいるやつなんて、お前くらいだぞ伊月」
「もう出るとこですよ」
言外に「お前がいなかったら俺は働かなくていいのに」とぼやかれる。
去年は1年間図書委員をしていたので、この司書とはそれなりに付き合いがあるが、どうも苦手な相手だった。節操なしなところが特に。
この男、神聖な図書室であろうことか生徒とにゃんにゃん。司書がそんななので、他の生徒も好き放題に図書室を使っていた。それを宇佐美が出入り禁止! 追放! と勝手に取り締まったのが気に食わなかったのだろう。何かと嫌味な態度を取られている。
しかし図書室は静寂であるべきだと思うのだ。後悔はしていない。
一方で月代の生徒からの人気は絶大である。理由はとにかく顔が良いのと、ナニがとは言わないが優しいから。創芸部のポエムによれば、知的な印象を与える切長な瞳に見つめられたものは皆、恋という名の奈落の底に突き落とされるとかなんとか。お気づきだろうか。お前はもう、死んでいる。
さっさと帰れと追い払われるのかと思えば、月代はなぜかこちらに寄ってくる。芝居がかった仕草で溜め息を吐くと、馴れ馴れしく人の頭に肘を置いてくる。高さが丁度いいとかは知らない。人を肘置きに使うなと思う。
「あいつの息子だと知らなかったらなあ。いつでも可愛がってやったのに」
「よく知りませんけど、親父の息子でよかったと心から思いました」
「顔だけだったら、全然気がつかなかったんだがな」
「はあ。母親似だってよく言われますね」
宇佐美への個人的な恨みもあるが、どうもその父親を嫌っているから宇佐美に対しても当たりが強いらしい。どんな因縁があるのやら、父親に詳細を聞いても碌な説明はされなかった。再婚相手とのハネムーンを絶賛楽しんでいるところなので、これ以上水を差す気はないけれど。
「お前、今年は図書委員やらないんだろ」
「そうですよ。あ、委員長にちょっかい出したらダメですからね。あの人、あれで許嫁いるんですから」
「別に興味はないが。まあそう言うなら、お前がしっかり見回りすればいいだろ風紀委員」
仮にも教師が積極的に風紀を乱そうとするな。
「良いもの食ってんなあ。俺にもくれ」
月代は宇佐美が咥えている棒キャンディーを指さした。
「嫌ですよ。これ、最後の一個ですもん」
「ここは飲食禁止だぞ、元図書委員」
「アハ。誰もいないし、本読んでたわけじゃないしいいかなあと……」
小腹が空いたのでつい、いつもの癖で摘んでしまった。誰もいない図書室はほとんど宇佐美の自室みたいなものだと、身体が認識してしまっているらしい。
「俺に注意されるのを待っていたのか? 気を引きたいなら、もうちょっと色気を出してくるんだな」
「脳みそハッピーで埋め尽くされてんな。レストインピースまで行きますか? あ、ちょっと」
宇佐美の口からアメを引っこ抜いて自分の口に運ぶと、「甘え」と不機嫌そうに言った。嫌いなものを、他人様から奪ってまで食べるな。
「……人がおいしく食べてるもん取り上げますか普通? はあ……買い出し行ってくるんで、オレはこれで」
「ごちそーさん」
嫌がらせをしてくる相手には、あまり構ってやらないのが一番だ。ヒラヒラと手を振ってくるのを無視して図書室を出る。無くなったアメを、補充しに行かなくてはならない。
寮から自転車を運んで、守衛室に向かう。
この学園では長期休暇だけでなく、週末の外出も認められているが、外出届は必須である。出かけ先に応じて、滞在できる時間が決められるのであまり長居はできない。
ずっと上の先輩の代で、学外で仲を深めていた由緒正しい家系の男女が駆け落ちしたとかしないとか。それが直接的な原因かはわからないが、学園で勉学に励む生徒への制限を厳ようとして、今のような制度になっているらしい。
小学部は共学、中学から大学部までは男子のみが入学できる。
中学からは全寮制になる。思春期の男子諸君がこの閉鎖的な学園に適応すべく進化した結果が、司書に見られるようなイチャコラなのである。名家の子どもを預かる学園としては、男女間に起こる問題よりは秘匿しやすいと考えているのかもしれないが、宇佐美としては風紀は積極的に保っていきたい所存である。
「外出届がこれと、あと郵便お願いします……へっくし!」
「宇佐美くん、花粉症?」
守衛の川上が、気遣わしげに宇佐美を見上げてくる。
「そうなんすよ。ほんと、この時期は学園の周りのスギを虚式で滅ぼしたくなりますね」
「知ってた? 僕の下の名前、悟浄って言うの」
「うーん惜しいな〜!」
頻繁に外出するので、川上とはすっかり顔馴染みになっている。下の名前は初めて知った。
「今日もコンビニだね。気をつけていってらっしゃい」
「はい。んじゃあ、行ってきます」
自転車を漕ぎ出すと、いくらか温くなった風を感じる。もうすっかり春だ。こうやって季節の移ろいを感じられるのも、宇佐美の心が平穏な証である。
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