3ー⑼

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「では文という女性は『切り裂きジャック事件』に関して完全に無罪なんだね?」 「そう思います。彼女が怪しい団体を立ち上げようとしていたかどうかはわかりませんが、出まかせのようなことを平気で口にする人物だったとすれば怪しまれる事はたびたびあったに違いありません。しかしだからといってそのことと実際の殺人事件を結びつけたりしてはいけないのです。彼女が関わった犯罪はあくまでも夫殺し、この街で犯した罪だけだと思われます」 「なりすましではないと言うのは?」 「現実として不可能だということです。なりすましを成功させるには斉木氏の言う「気」をまとう必要があるのですが、その「気」自体が確かめられていない以上、なりすましそのものが斉木氏の頭の中で作り上げられた幻想と言わざるを得ないわけです」 「でも、布由さんと言う人は仮に文と関係がなかったとしても少々、変わった人ではあるようだが」 「それはその人の性格でしょう。アルモニカという楽器も『不思議の国のアリス』も単に好きなだけで怪しむべきところは一切、ありません。布由さんはちょっと変わった趣味の、医学を志す平凡な女性に過ぎないのです」 「でも僕は奥の間で奇怪な人間もどきを見たぜ」 「それこそが布由さんが普通に西洋医学を学んでいる何よりの証拠なのです」 「なんだって?どういうことだい。君は自分で見ずともあれが何かわかるというのかい」 「たぶん。……布由さんが持っていたのはおそらくキュンストレーキと呼ばれる紙でできた人体模型だったと思われます」 「人体模型だって?」 「はい。キュンストレーキとはオランダ語で「人工の死体」を意味します。主に仏蘭西などから学習用に持ちこまれているようですが、布由さんは何らかの方法でこれを入手したのでしょう。つまりまっとうな医学を学んだ上で、未知の治療法を加えられないかと真剣に考えているのです」 「なんと……では文とは本当に関わっていなかったのか」 「いえ、それはわかりません。実際に、文が亡くなった後、布由さんは文を思わせる振る舞いをしていたのでしょう?つまり青柳町か住吉町のどこかでたまたま文と知り合い、意気投合した可能性はあります。つまり文が亡くなった後、文を思いだしてその振る舞いをまねていたのは怪しい野望を継いだのではなく、単に人柄をしのんでいたからだと思われます」 「なんてことだ……どうやら僕は頭のてっぺんからつま先まですっかり礼太郎君と百彦氏の心霊話に浸かってしまっていたらしい」
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