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1ー⑴
「あれっ、あそこにいるのは……」
何か良いひらめきが浮かばないものかと机を離れ大三坂を歩いていた飛田流介は、郵便箱のあたりに目を遣り思わず声を上げた。
「君、石水君じゃないか。一体何をしてるんだい?」
声をかけられた青年はびくりと肩を動かすと、丸い目を見開いて流介の方を見た。
「ああ、飛田さん」
流介の知人で薬屋の若旦那、石水宗吉は何かやましいことでもあるのか曖昧な笑みを浮かべるとそそくさとその場を立ち去った。
「なんだい、ろくに口もきかないで行っちまうとは無作法にもほどがある」
流介は宗吉が前を行ったり来たりしていた郵便箱に近づくと、黒い柱型の箱の傍らに何やら文らしきものが落ちていること気づいた。
「こいつはひょっとして、石水君が落とした物かな」
流介は落とし物を拾い上げると、表裏をあらためはっとした。表面には女性の名らしきものがしたためられ、裏には差出人の――宗吉の名がしっかりと記されていたのだ。
――ふうむ、どうやら宗吉君の胡乱なふるまいはこの手紙と関係があるようだな。
流介は手紙を懐にしのばせると、頭を切り替えて散歩の続きを始めた。
※
「まったく仕事もせずにふらふら出歩いてばかりで、困っとるんだよ」
『猟奇新聞』の蔵を改造した編集室で、石水善吉は流介を相手にひとしきりぼやいてみせた。ふらふら出歩いているというのは善吉の息子で父親の仕事を手伝っている宗吉のことだ。
『猟奇新聞』とは巷の怪奇譚、異常な事件を集めた個人新聞で、善吉は隣で薬局を経営する傍ら、暇さえあればこの蔵に籠り巷の噂をせっせと記事にしているというわけだった。
「薬屋の仕事を継いだばかりで疲れているのかもしれませんよ」
流介がそれとなく宗吉をかばうと、善吉は「いやいや、単にさぼっているのなら大目に見るところだがね、どうもそれだけじゃなさそうなんだ」と含みを持たせた言葉を口にした。
「それだけじゃない?」
「うん、これは亜蘭君の勘らしいんだが、どうも女性に懸想しているらしくてね」
「えっ、あの宗吉君が?」
流介は失礼とは思いつつ、驚きの声を上げていた。石水宗吉は真面目で人懐こい好人物だがおっちょこちょいで不器用なところがあり、色恋で悩むようには見えなかったのだ。
「……で、お相手は?」
「それが、本人が言わないのでわからないらしい。人目を忍んで会っているのか、あるいは宗吉が一方的に想いをよせているのか……」
「なんとまあ」
「やはり主というのは店の顔だからね。家内と亜蘭君だけではどうにも心もとない。私も隠居の身だし、早く落ちついてくれるといいんだが……」
善吉は眼鏡を指で押さえると、大げさにため息をついた。
「ちょっと亜蘭さんに話をうかがってきていいですか?」
「ああ構わないよ。たぶん店の方は暇だろうからね」
流介は善吉に「では失礼します」と頭を下げると、蔵を出て隣の薬局へと向かった。
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