3ー⑻

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「ではまず、その布由さんと言う人が探偵氏の言うような「なりすまし」なのかどうかから申し上げましょう。結論から言うと布由さんは布由さんです。文さんと言う人ではありません」 「そうか、それを聞いて安心したよ。では何もかも礼太郎君の思い過ごしだということだね?」 「そうですが、それだけではありません。「表の事件」は夫を殺めた妻の文が逮捕され、崖から身を投げたところで終わっています。まだ終わっていないのは「裏の事件」――すなわち斉木氏とその叔父上の心の中で育った「形のない殺人鬼」の方なのです」 「形のない殺人鬼だって?」 「はい。考えても見て下さい。倫敦にはスコットランドヤードという優秀な警察組織があり、日々懸命に捜査を続けているのにも拘らず日本人女性の名前は挙がっていません。ということは、疑いを持つべき人物がいないということです。なのに斉木さんの中で文という女性が事件と結びついてしまった。そこにはいくつかの偶然と、彼が叔父上から得た膨大な知識がかけ離れた断片同士を引き寄せたという不幸があったのです」 「もう少し詳しく説明してくれないか」 「文という女性が『神智学協会』や『黄金の夜明け団』について語ったからと言ってそれらの団体の関係者と実際に会っているとは限りません。本を読んだだけでもあたかもよく知っているかのように語ることは簡単にできるのです。彼女が心霊現象に深く関心を寄せていたことは事実でしょう。しかし彼女自身が霊能力者として注目を集めたという事実もないのです」  流介はあっと思った。礼太郎が文には超能力があったことを初めから揺るぎない事実として語っていたのを、自分もまた当然のことのようにそういう人間だと信じて聞いていたのだ。 「斉木氏は火事の時に文と会い、そこで予言めいたことを言われたことによってそれまではただ不気味な子だとしか思っていなかった彼女に、なんらかの神がかった力を持つ子に違いないと勝手に思いこんでしまったのです」 「ううむ……僕も人から聞いただけの話を信じかけてしまったくらいだから、そういうことは簡単に起こるんだろうな」 「斉木氏にとって不幸だったのは、気持ちの上では文をただの変な子としか思っていなかったのに叔父から得た心霊話があまりに多すぎたため「そういえばあれとあれもくっつくぞ、あそこの隙間にはこれがぴたりとはまるぞ」と思うようになってしまったことです」 「なるほど、色んな木をひとつに合わせてこしらえる寄木細工のようなものだな。木の方は自分が模様にされるなどとは思っちゃいないものな」 「その通りです。最後に完成した絵――「久津見文犯人説」は斉木氏の頭の中だけにある犯罪絵巻で、そもそも文と『切り裂きジャック事件』とは何の関係もない別の存在なのです」
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