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「ではさっそく、弾いてみます」  布由はそう言うとガラスの上に手を当て、撫でるような所作で動かし始めた。  ひぃいんゆおおおん  今まで聞いたこともない不思議な音色に流介は驚きつつもうっとりとなった。 「これは面白い。むしろこの音楽の方が治療にふさわしいかもしれない」  流介が正直な感想を口にすると、布由は今までの硬い表情を緩め「ありがとうございます」と恥ずかしそうに言った。 「なんだかあなたのお蔭で少しばかり身体も楽になった気がします。では薬もお届けしましたので、僕はそろそろお(いとま)……おや?」  立ちあがった流介は、壁際にある文机に開いたままの本があることに気づき、目を留めた。 「あの本は?どうも外国の本のような気がするのですが」 「あれは『不思議の国のアリス』の英国版です。この中の言葉遊びの部分が好きで、時々本棚から出しては読んでそらんじているのです」 「ははあ、そういう子供向けの本があるというのは知っていますが、本国の物を持っているとはさすが英国帰りだ」  流介は机の上の本と洋書がぎっしりの本棚を見て頷いた。 「あの、飛田さん」 「なんです?」 「薬を持ってきていただいたお礼に、焼き菓子を少しお持ちになりませんか?薬屋の皆さんと分けておあがりになってくださいな」 「はあ、ではお言葉に甘えて……」  布由が部屋から姿を消すと、流介は医学を学びたいという珍しい女性の部屋を興味深く眺めた。すると、奥の間に続くと思われる扉がふと目に入り、好奇心を刺激された流介は扉の前に移動すると取っ手にそっと手をかけた。  ――よく知らぬ初訪問の家で、なんというぶしつけな真似をしているのだ俺は。 「いや、しかし記者という物は家があれば訪ね、戸があれば開けるのが性分なのだ」  好奇心に負け扉をわずかに開けた流介はその瞬間、思わず「あっ」と叫んでいた。奥の壁にもたせ掛けるように立っていたのは、人間のような人形のような「赤みがかった奇妙な何か」だった。 「うわ、わ」  流介が慌てて戸を閉めると、まさに間一髪の間で布由が入って来るのが見えた。 「思ったよりたくさんあったのですが、風呂敷が間に合いますかしら」 「大丈夫です。大きめの物を持ってきましたから」  流介がそう言って薬を運んできた風呂敷を出すと、布由は申し訳なさそうに「行きも帰りも荷物を持ってゆくことになりますわね。ごめんなさい」と詫びた。 「なに、お蔭で色々と珍しい体験ができました。新聞記者にとっては何よりのお土産です」  流介がそう言うと、「だとよいのですが」と布由の目に初めて柔らかな光が浮かんだ。
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