君と踏み出す

4/4
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
  「よっし、じゃあまずはデートしようぜ!」 「えっ、あ、……外、に、……行くのか?」 「あれ、行かないのか?」  床に落ちたままの鞄に視線を向けながら、陽太が質問を返してくる。逃避のため、後ろ向きな決断として外出を選択した時の勢いは、すでに詠月の中からは消えていた。  こちらの表情が曇ったことに気づいたのか、彼は更に問いかけてくる。 「そいや、なんで急に外に行こうとしてたんだ?」  悩みつつ、取り繕っても意味がないことだから、と正直に理由を告げれば、陽太は慌てて首を横に振った。 「いやそれ、駄目なやつじゃんか! 会社に行きたくなくて電車に飛び込む、みたいなやつだろ?」  でも、そこまでさせようとしたのは自分のせいか、と落ち込む相手に、詠月のほうが焦ってしまう。  元はと言えば、逃げてばかりいる自分の弱さのせいなのに。 「違うよ、陽太のせいじゃなくて! 俺が怖がってばっかで、……怖いものから、逃げてばっか、で」  部屋の外を恐ろしく感じるのは、他人がいるからだ。いつからか全ての視線が自分を責めているように思えて、安全圏(部屋)から出られなくなってしまったのだ。  そうしたら、外のことがわからなくなった。わからなくなったから、余計に怖くなった。そんな悪循環。  今は、訪ねてきてくれる家族と陽太だけが、詠月の世界だ。 「なぁ。まだ、外は怖い?」  眉間に皺を寄せて縮こまる詠月に、陽太が神妙な面持ちで問うてきた。気遣うような声に少しの戸惑いと決意を感じ、知らず俯いていた顔を上げる。 「無理はしてほしくないし、怖いなら逃げてもいいんだ。でも、きっかけがどうあれ、部屋から出てもいいって一瞬でも思ったんだよな? それってさ、多分、詠月の心が動いたってことでさ」  慎重に言葉を選びながら、陽太は訥々と訴えてくる。 「勿論、電車に飛び込むような心情はほんとに駄目だけど! でももし、これがチャンスの一つなら、試してみてもいいのかなって思ったんだ。俺もついてるからさ。行けそうなら、外、少しだけでも行ってみない?」  そっと差し出された手を見つめながら、詠月は再び混乱していた。けれど、先程のような追い詰められたものとは違い、自分から思考を回そうと努めているからこそ起こっているものだ。 (外に、出る。外に……?)  恐怖心は消えない。そんなに簡単に失せるものではないことを、本人が一番理解している。  だが、陽太が言うような確かに心が動いたことを、詠月自身も感じていた。  多分、ここで手を取らなくても陽太は許してくれる。決して無理強いはしてこない。これまでも、一度も急かすことなく、詠月が安心して引き籠もれるこの部屋に足繁く通い、家族以外の唯一の話し相手になってくれていたのだ。  そうやって、ほんのわずかでも、詠月と外界との繋がりを残してくれていた。 (いつか、俺が外に出られるようになったら。きっと、そう考えて)  ずっと、怖いものから逃げてきた。自分を守るために逃げることは、弱さかもしれないが間違いとは言えないと詠月は今でも思っている。少なくとも、死が頭を過ぎるほど心身を苛んできた会社から逃げ出したことは、正しかったと信じている。  けれど、その代償に、逃避ではなく先に進むために行動した際に感じるわくわくした気持ちを失くしていた。そのことを、今は少しだけ悲しく思う。  さっき、陽太は言っていた。詠月と一緒に行きたいところが沢山あるのだ、と。  好きな相手と、──恋人とともに歩く外は、この目にどんな風に映るのだろう。君と一緒に行く場所には、どんなものが待ち構えているだろう。  すっかり忘れていた『期待』という感情が、詠月の心にふっ、と浮き上がる。 (まだ怖い。多分、すぐには慣れなくて、絶対に迷惑をかける)  けれど、きっと陽太は笑って許してくれる。怖ければ逃げてもいいと言ってくれる彼なら、進んですぐに後退したとしても手を繋いだままでいてくれるはずだ。  それに、少なくとも、窓を開けた時に頬を撫でていった風は、詠月に優しかった。  震える指先を一度握り締めてから、差し出されている手に恐る恐る触れていく。 「うん、……行く」  自棄ではなく、逃げでもなく。  陽太と二人で見る世界を広げるため、詠月はゆっくりと一歩を踏み出した。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!