夏の終わりはあったかい

2/3
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
 舞子はそれなりに整った顔立ちをしていたものの、容姿端麗というほどには突き抜けてはいなかった。勝手に点数をつけるとすれば六十九点くらいだろうか。ところが、なぜだかやたらと男好きするやつで、男を取っ替え引っ替えしていた。  月間制で次から次へと鞍替えをして、ときには週間制で止まり木を替えた。ただし、二股のような同時進行は、ぼくの知る限りなかった。 「わたしは不器用な女やさかいな、同時にふたりを愛されへんねん」  いつだったか、舞子がドヤ顔でそう言っていたことがある。 「涙ぼくろがある人は、浮気をせえへんねんて。人相学的にそうらしいで」 「へえ……」 「嘘やけど」  男関係にだらしない女子というのは、他の女子から忌み嫌われて然りだ。ところが、舞子は女友達も多かった。どことなく舞子は暖簾(のれん)みたいなやつで、他者から敵意を向けられにくいのだ。  ぶつかっていってもまるで手応えがなく、ぶつかっていったほうが阿呆(あほ)らしくなる。暖簾に腕押しを体現しているようなやつだった。  ゆえに、「まあ、舞子だから仕方ない……」と、たいがいのことは許してもらえた。  ある意味、最たる人たらしであり、向かうところ敵なしだった。  今ふうに言えば、無双である。  正確に言えば、憎めないやつである。  舞子がそういう取っ替え引っ替え系女子だったうえに、ぼくは彼女とかなり親しくしていた。大学の校内でも彼女とよく行動を共にしていたし、休日にふたりで出かけることも頻々にあった。だから、友人以上の関係をしばしば疑われたのだが、ぼくと彼女は健全に完全に友人の仲だった。  なぜ友人以上にならなかったのかと問われれば、なんとなくとそうだったとしか答えようがない。  舞子もそういうふうに言っていた。  大学からの帰り道に、ぼくが舞子にこう問うたときのことだ。 「こうやってしょっちゅう一緒におるのに、男と女の関係にならへんのはなんでや?」  梅雨(つゆ)の細い雨が昼から降りだした日で、舞子が傘を持っていなかったため、ぼくたちはひとつの傘をふたりで差していた。 「わたしたちのこと?」  首を傾げた舞子にぼくは頷いてみせた。 「そう」 「そんなん決まってるやんか。あんたに勇気がないからや。ふたりきりになっても、わたしに迫ってこえへんやん」 「は? こっちが迫っていったら、そういう関係になるんか」 「ならへん。迫ってこられたら硬いものでしばく」 「いや、しばくなよ。……でも、やっぱりそうやろ? 男と女の関係にならへんやんか」 「うん、ならんね。迫ってこられたら尖ったもので刺す」 「やめて。刺したらあかん……」 「でも、なんでやろな。なんとなくあんたとは、そういうことにならへん」  なんとなくというのは曖昧な理由に思えて、実のところかなり強烈な理由に違いなかった。  理由もなく、理屈もなく、なんとなくそうなのである。  理由もなく、理屈もないから、回避できない。  ぼくと舞子は友人以上にはなり得ないのだった。  さて、健全に完全にぼくと友人だった舞子は、とにかくあたたかいものが好きだった。  街中で犬なんかを見かけると、抱きつきにいって、飼い主をよく驚かしていた。汚い野良猫なんかも平気で抱きあげて、すりすりと頬ずりまでしていた。 「生き物はなんでもあったかいねん」  舞子いわく、そうらしかった。  夏でも毎日湯船に浸かるらしく、温泉なんかもかなり好きだった。人類最大の発明は炬燵(こたつ)だと豪語し、春の陽だまりをこの世の天国だと称した。最後の晩餐には焼き立てパンを選ぶと断言した。  大学の近くにある喫茶店にいったときのことだ。北風の吹く寒い午後だったというのに、舞子は迷うことなくアイスコーヒーを頼んだ。  あたたかいものが好きなくせにコーヒーはアイスを注文する。しかも寒さ厳しい季節に。  そのちぐはぐを指摘してみると、舞子は心外だという顔をした。 「ホットコーヒーは熱いものやんか。わたしが好きなのはあったかいものやし」  心外だという顔のまま続けた。 「熱いものとあったかいものは似て非なるものやで。いや、似てすらないやん。熱いものとあったかいものはまったくの別物やわ。一緒くたにせんといて」 「そういうことを言うんやったら、焼きたてのパンだって熱いものやろ」  すると、舞子は白い目をした。 「あんた(こま)かいな……細かいことを言う男子は、女子に嫌われるで」  それからストローをちゅうっと吸い、「そういえば」と話を変えた。 「夏はめっちゃ暑いけど、夏の終わりはあったかいな」 「なんや急に。……っていうか、あたかいって言い方はおかしいやろ。夏の終わりはあたたかいじゃなくて、普通は涼しいって言うんちゃうか。朝晩が涼しなってきたとか」 「あんた、やっぱり(こま)かいな……」  舞子はまた白い目をした。 「細かいとか細かいないの話ちゃうねん。普通は涼しいって言うもんやんか。あたたかいとは言わへん」 「ふうん、変なの……」 「変ちゃうちゅうねん」 「それより小さい〝つ〟を入れたほうがええと思うねん」 「ん? どういう意味や?」 「あたかいって言うたほうが、あたたかいって言うよりも、二割増しであたかいやろ?」  そんな舞子が突然大学にこなくなったのは、三年生の夏がそろそろ終わるという頃だった。彼女がいうところのあったかい季節である。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!