彼女と彼女の、どちらへ行こう

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・近所に貼られた“そうだ、異世界へ行こう”というポスター。何これと触れてみたら、本当に異世界に来てしまった! ・何年も音信不通だった友人から突然、旅行の誘いが。ひとまず会うことにしたのだが――? 「よ、久しぶり。元気してた?」  何年も音信不通だった彼女は、まるで夏休み明けの挨拶みたいに気軽な口調で話を切り出した。私は目の前の席に座る女性を凝視した。高校の同級生だった女の子だ。見た目は前と変わらない。馴れ馴れしい言い方も同じだ。でも何か違う。何が違うのかと訊かれても答えられないが。 「実はさあ、異世界に行ってて、こっちになかなか帰って来れなくて」  ここでコーヒーを盛大に吹くのが現実世界の住人たる私に求められる役割かもしれない。しかし私たちは高級ホテルで豪華なアフタヌーン・ティーの真っ最中だ。私には吹けない。紅茶しか。  紅茶を吹き出しはしないもののむせた私に彼女がハンカチを差し出した。片手を振って拒む。折り畳まれたハンカチをチラッと見たとき、その白い布地から眩い光が放たれているように感じられたので、私は口元を手で覆いながら少しだけ前のめりになった。  じっくりとハンカチを見て確認した。確かに神々しく輝いている……いや違う。輝いているのはハンカチだけじゃない。彼女の手だ。彼女自身が光り輝いているのだ。  私は再び彼女を凝視した。以前と違って見えたのは、彼女が輝いていたからだと分かった。  いや、分かったとは言えないだろう。何が何だかサッパリだ。 「あの、今日は一体どんな用で?」  彼女はズバッと答えた。 「暇な貧乏人に用があったの」  その通りだが私は不愉快だった。今すぐ帰ろうかと思った……が、帰る前にスコーンやケーキをたらふく腹に詰め込むことにする。夕食代わりだ。  無言で食べ物を貪り始めた私にキラキラの彼女が話しかけてきた。 「調べさせてもらったわ。苦労してるらしいじゃない」  うるせーボケ! なんて言ったら絶対にむせるから、私は手だけを動かし続けた。だけど甘いケーキの味なんか、とっくにどこかへ消えていた。彼女の言う通りなのだ。  大学を出たまでは良かった。社会に出て私は(つまづ)いた。一流企業に入ったはずが実はブラック企業で心身を病み退職を余儀なくされるは、変な男に引っ掛かって貢いだ挙句に捨てられるは、と散々だ。食費にも事欠く有様で、ひもじさに耐えかね、こうして旧友からの「高級ホテルで豪華なアフタヌーン・ティーの無料招待券が二枚あるから来ない」とのお誘いに乗ったのだ。それだけじゃない。タダで旅行に連れて行ってもらえるという話もあった。それで、ひとまず会うことにしたのだ……何か文句あるか! 「いい仕事があるの」  私は彼女を睨んだ。闇バイトの募集だと思ったのだ。猛烈に腹が立った。どんなに金に困っても悪事には加担しない。パパ活もやらない! やるなら永久就職前提でお願いします! 「法律に反する仕事じゃないから、完全に合法だから」  そう言って彼女は話し始めた。  高校の時、近所に貼られた“そうだ、異世界へ行こう”というポスターを何の気なしに触った彼女は、本当に異世界に行ってしまった。 「行った先で魔王を倒したり荒廃した世界を再建したりしながら、元の世界へ戻って日常生活する毎日で、本当に大変だった。でも、その努力を見てくれている人たちがいたの」  異世界の組織が彼女に声を掛けた。その団体は全異世界の制覇を目指しており、彼女に元いた世界の支配者になってもらいたいと依頼してきたのだ。 「どうしようかって悩んだけどさ。人生一度きりでしょ。後悔しないように頑張りたいって思って、お話を受けることに決めたの」  それが私と何の関係があるのか? 「それで、貴女にお願い。私が世界の支配者になるために働いて欲しいの」  彼女は両手を合わせて私に頭を下げた。要するに私は、彼女の野望達成のために働く……ということなのか?  どうにも理解できない。世界の支配者になるというのもアレだが、そのために私が働くというのもアレだ。頭は大丈夫か? 「毎日いろいろあって私とても忙しいの。シンママだから毎日ワンオペで、今日も五時半までに保育園へ行って子供を引き取って来ないといけないし。それで貴方に私の代役をお願いしたいのよ。この世界にある私の支配地の代官って感じ」  お代官様になるのか、私は。時代劇が好きな私は、ちょっと興味が湧いてきた。 「でも、ちょんまげを結うのは、ちょっと。いくらお代官様だって、ねえ」 「いや、それは言葉の綾だから。それで旅行っていうのはね、これから一緒に行こうと思うのよ。私の領地となる予定の場所に。空からパッと視察すんの、日帰り旅行だけど」  聞けば近くの緑地公園に異世界から不可視の飛行ロボットを召喚し、それに乗って現地へ行くとのことだ。 「ちょっと縁があってね、田舎だけど、とてもいいところよ」  彼女はスマホで現地の写真を見せた。幽霊が出ると噂の荒れ寺の画像が出てきて、私の興味を引いた。私は心霊スポット巡りが趣味だ。この寺は、何か出そうで、実に素敵だった。  しかし、それはこの際どうでもいい。  私は彼女を見つめた。どう考えても正気の話ではない。妄想だ。まったくの妄想だ。とてもじゃないけど付き合いきれない。  ごめん、帰らせてもらう。そう言いかけた私の前に、彼女は金のインゴット一枚を置いた。 「本物よ。百グラムある。それは今日の交通費。その他に、私と一緒に空を飛んで現地まで行ってくれたら、もう一枚お渡しするつもり」  私は金塊を手にした。重かった。たった百グラムなのに、やたらと重い。メダリストみたいに噛んでみようかと思ったけれど、歯が欠けたら困るので止めておく。 「どう? 行く? 私と一緒に、行ってくれる?」 「高いところ、少し苦手」 「慣れておいた方がいいよ。私たち、これから高いところを目指すんだから」  自分が今、人生の底にいるという自覚が、私にはある。どん底なのだ。だとしたら、後は這い上がるだけだ。どこまで這い上がれるだろうか? 高く飛び上がることができるだろうか? どこまで高く飛べるだろうか?  そこのところを彼女に聞いてみた。彼女は答えた。 「世界の支配者の代官だから、ほぼ世界の頂点に立つものを考えて。でもね」  彼女は釘を刺した。 「最初は基礎作りだから。下の方を固めるの、まず地方からよ。そこに足場を固めておいて、全国に進出する計画。その根拠地を私に代わって管理するのが貴女の役目。責任重大だから」  手始めに何をすりゃいいのさ、ボス。  そんな感じで私が質問すると彼女は言った。 「お代官様の仕事だから、その土地の人々の声に耳を傾けることかな」  内政ゲームみたいだ、と私は思った。 「ねえ、そこはどんな人が暮らしているの?」 「異世界つながりの知り合いがいるの、実際に話をしてみたら? 今日は空中から視察するだけのつもりだったけど、何だったら降下して着陸したってもいいよ」 ・有権者になって初めての選挙。面倒くさがっていたら、親に「投票しないなら家から追い出す」と言われ!?  この村の選挙は毎回、盛り上がらない。実質的に、多選の高齢村長の不信任投票だからだ。対抗馬が出ないので、そのまま当選する。でも、今回は違う。普段とは違う雰囲気が漂う選挙なのだ。  まず有力な対抗馬が立候補した。その人物は村に縁もゆかりもない都会出身の元エリート官僚だった。彼は与党や財界との強いパイプを誇示し、人口減や貧困に苦しむ村の産業振興を公約に掲げた。一方、現職の村長は勇退を決断した。そして彼は後継候補を指名したのだが……その人物もまた村に縁もゆかりもない都会出身で、しかも政治のド素人の二十代女性だった。  誰もが「何を考えているのか!?」と村長の正気を疑った。  でも、理解を示す声があったのも事実だ。  村長は彼を支持してきた団体から選挙協力を拒否され、出馬を断念していた。拒否の理由は、彼が村に核廃棄物の中間貯蔵施設を建設する計画に反対していたからだった。  対抗馬の候補者が核廃棄物中間貯蔵施設建設推進派なのは言うまでもない。  今回の選挙の最大の争点は、これだった。村民の意見は推進と反対で真っ二つに割れているのだ。  では、計画反対派の村長が指名した後継候補の女性が反対派なのかというと、これがどうも怪しい。  彼女は立候補を発表し公約を表明する場で住民から「中間貯蔵施設に反対の立場ですよね」と念押しされると最初「え、それ何の話?」と逆に尋ね返し、隣にいた村長に小声でアドバイスされ「もちろん反対です」と言い直した経緯がある。何も分かっていない説すら囁かれていた。  二人とも落下傘候補だけれども、こんな情勢なので今回の選挙は白熱していたのだが、僕は白けていた。どっちでもいいのだ。正直この村に核実験場ができたとしても一向にかまわない。高校を卒業したら僕は村を出る。そして一生、帰らない。何がどうなろうが知ったことではないのだ。  でも、この村で生まれ育ち、恐らく死ぬまでずっと暮らすであろう両親には大問題だった。反対派の候補に投票しろ! と喧しい。「投票しないなら家から追い出す」と言われたが面倒くさいし、行きたくないな~なんてぼやいていたら、事件が起こった。夏の真っ盛りに高齢を押して選挙応援の演説をしていた村長が倒れたのだ。たまたま前を歩いていた僕の目の前で。 「しっかりしてください!」  放っておくわけにもいかず介抱する僕に、村長が言った。 「少年よ……頼みがある」 「お断りします」 「聞けよクソガキ」  村長は自分が異世界からの転生者だと語った。楽器作りの職人だった自分は、たまたま訪れたこの村を気に入り、そのまま暮らし始めて、いつしか村長となり以来ずっと村の発展のために尽くしてきたつもりだが、遂に寿命が来てしまった……と、ここに来てトンデモナイ妄言を話し出した。  村長を助けようと右往左往している皆が聞いたら、唖然として足が止まったことだろう。でも聞いているのは僕だけだった。 「頼みというのはな、私に代わって村長候補者の娘のお目付け役をやってほしいのだ」  実を言うと村長は、後継指名した女性を信用していないそうだ。あの女性候補は、たまに彼が里帰りする異世界の有力者に無理やり押し付けられた人間で、その能力には疑問符が付く、とのことである。 「その有力者には、私の故郷を荒らし回った魔王を退治し復興事業を進めてもらった恩がある。頼まれたら断れない。しかし、何が目的であの娘を紹介してきたのか、私には分からない。勇退する私の後継者はあの娘しかいないと推されたが、村の問題を何一つ知らない人間に何ができるのか? とても心配なのだ。このままでは不安で、とても異世界に輪廻転生できそうにない」  また異世界に輪廻転生すんのか? と驚くやら呆れるやらの僕に、村長は木の棒を差し出した。 「これをお前に授ける」 「要りません」 「受け取れバカガキ」  その木の棒は女性をその気にさせる横笛だと村長は言った。 「どんな女にも効くが、今はあの女に合わせて音色を調整している。これを華麗に吹き鳴らせば、あの子を好きなようにできる」  僕は立候補した女性を思い浮かべた。物凄い美人というわけではないが可愛らしくてスタイルもまあまあ良い……いや全然、悪くないっす!  横笛を手に興奮する僕を見て、村長は満足そうに笑った。 「それでいい。あの子とうまくやれ。そうすれば、この村は安泰だ」  そして村長は息絶えた。  その日から僕は村長から貰った彼の形見とも言うべき横笛の練習を続けている。推進派の候補者の選挙カーが大きな音を立てて村内を走り回っているけど気にならないくらい集中している。それでも、なかなか音が出ない。僕は焦っていた。あの候補者の女性が村にいる間に笛が吹けるようにならないといけない。選挙に落ちたら、彼女は村を去るだろう。それは、ほぼ確実だ。そうなったら、この横笛を貰った意味が無くなる。できるだけだけ早く鳴らせるようになりたい、その一心で僕は頑張った。しかし、一向にうまくならない!  急に思いついた。そうだ、彼女が住んでいる廃寺へ行こう! と。  あの女性は、廃墟同然の無人の寺を借りて生活していた。お化けが出るという噂の絶えない場所だ。何を考えているのか、まったくの謎だ。  でも、好都合という気がする。僕は本番に強い。彼女と二人きりになれば、横笛を上手に吹ける自信がある。  彼女が村を去る前に、仲良くなるのだ。あ、途中でアレを買っていこう。荒れ寺へ行く前に、アレを買うんだ……待てよ、生でも大丈夫かも! よし、何も買わずに直行だ! なんてバカなことをウヒヒとスケベ顔で考えながら僕は、自転車で真っ暗な夜道をすっ飛ばしていた。  そのときである。  僕の真横を車が猛スピードで通り過ぎた。この先は、彼女がいる荒れ寺しかない。嫌な予感がした。僕は自転車を飛ばした。荒れ寺の前に着く。案の定、さっきの車が停まっていた。僕は笛を手に寺の門をくぐり抜けた。 「止まれ」  闇の中から怒気を含んだ女の声がした。 「念のためにと思って警戒していたら、やはり来たな。お前も相手陣営の者か? その車の中にいた奴らの仲間なのか?」  僕は答えなかった。怖くて口が開かなかったのだ。 「そうだとしたら、お前も異世界へ飛ばしてやる。我が野望の邪魔はさせない。立候補の取り止めなど、絶対にさせない!」  見知らぬ女が闇の中から姿を現した。月明かりもない暗闇だが、その体が発光しているかのように光り輝いている。とても奇麗だった。そんな彼女は僕を睨んだ。 「何をニヤニヤしているんだ、お前キモいぞ。面倒だ、お前も異世界へ飛べ。因果地平の彼方へ消えろ」  その女性は足を前に一歩踏み出した。僕は一歩だけ後退りして考えた。  村長は、この横笛には女性をその気にさせる効果があると言った。立候補した女に合うよう調整したと言ったが、他の女にも効くかもしれない――と僕は予想した。横笛を口に当てる。息を吹き込む。 「ぷすしゅす~~~~」  やはり音は出なかった。しかし! 「その笛は! この村の長が作った、異世界の横笛! 異世界の人間でしか吹き鳴らせないとも伝えられる、伝説の名器!」  僕は彼女に聞いてみた。 「異世界の人間以外は吹けないのですか?」 「さあ? 練習すれば誰でも上手に吹けるという話もある。詳しいことは、あの世で村長に会ったときに聞け」  そう言って彼女は僕を見た。 「村長は私たちの味方となる頼もしい少年を死ぬまでに見つけて横笛を渡しておくと言っていたが、それがお前か」  絶対に違うと思ったけど、余計なことは言わない。 「そうです」 「そうか、それじゃ、選挙の応援ボランティア、よろしく。人手はいくらあっても足りないんで」 「わかりました」  翌朝の夜明け前に、この荒れ寺に集合と命じられ、僕は自宅へ帰った。命令通り自転車で荒れ寺へ行くと、選挙カーが何台か並んでいた。中間貯蔵施設建設建設反対派の人たちだった。僕の両親は忙しくて応援に参加していないけど、カンパはしている。きっと、その金がガソリン代に使われているんだろうな……と思いながら僕は選挙カーの中から手を振った。  そんな選挙期間は昨日で終わった。投票も済んだ。後は開票を待つばかり。投票所前の出口調査の結果は五分と五分だ。どっちが勝つか、予想できない。  僕の気持ちも五分五分だ。村長選に立候補した女性と、その友人だという光り輝いている女性の、どちらも好きなのだ。  今、僕は片方だけ黒く塗られた達磨の置かれたテーブルの後ろの椅子に座り、シンママだという女性の子供の面倒を見ながら、必死に横笛の練習をしている。選挙結果が出たら、どちらの女性の隣へ行こうかと悩みながら。
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