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1.戦力外通告
白球が大きく浮き上がった。低めのボール球に手を出してしまった。バットを放り投げ、一塁へ向かう。全力で走ったが、視線を上げることはできなかった。
案の定、高く上がったフライはセンターのグラブのなかにおさまった。足を緩め、天を仰ぐ。
ファームの応援席はがらがらだったが、それでも熱心なファンの団体が観戦にきていた。重い足取りでベンチに向かう奥の背中に、無遠慮な野次が飛んだ。
「てめえ、奥、いい加減にしろ!」
「おまえなんかいらねえよ。田舎に帰れ!」
これでもう9打席連続無安打である。いい返す言葉もなかった。
噛んだ唇がわななく。チームメイトの田所が無言で肩を叩いてくれた。気持ちは嬉しかったが、心が晴れることはなかった。
宮崎の名門高校のセカンドとして春夏甲子園に出場、3年の夏にはキャプテンとしてチームを優勝へと導いた。卒業後はドラフト2位でプロ入りするも、1年目の途中で左太腿を痛め、見る見るうちに調子が落ちた。高校時代に無理を課した体はもう後戻りできない状態になっていた。2年目と3年目はほとんどの試合を二軍で過ごし、4年目の今年も、一軍に上がる見込みはなかった。
「一軍は勝ったらしいぜ」
慰めのつもりか、田所が柔和な笑顔で声をかけてきた。
「我妻が完封だってよ。やっぱり、すごいな、あいつは。奥、同期だろ」
奥は曖昧に頷いてみせた。返事を期待していたわけではないらしい。田所はジャージの襟を立てて、グラウンドに視線を戻した。
目を細めて外野を眺める田所の横顔が急激に老けた気がして、奥は思わずぎくりとした。
田所は今年で39になる。他の競技と較べてすこしは長くプレイできるスポーツとはいっても、40になるまで現役でいられる選手は一握りだ。奥が子供の頃は、3年連続2桁勝利をあげ、テレビのなかのヒーローだった田所も、今では二軍ですらベンチをあたためるだけの選手となってしまった。たまに一軍に上がっても、ろくに抑えることもできず、敗戦処理に励むのが精一杯だ。
一抹の寂しさをおぼえつつも、こんなふうに終わるのはまっぴらだという怯えもある。しかし、田所でさえ、一時はチームのローテーションを支える剛腕の持ち主だったのだ。今のままでは、奥はだれの記憶にも残らないまま、消えていってしまうだろう。そう思うと、奥の背を冷えた汗がつたい落ちるのだった。
奥たちのチーム神奈川ヴェルヴェッツ一軍は名古屋遠征のはずだった。相手は昨年リーグ優勝した強豪チームだったが、若手エースの力投で快勝したらしい。だが、奥には田所のように素直に喜べない事情があった。
我妻は奥と同じ年齢で、高校時代は何度も対戦した。選抜決勝では接戦の末に奥たちが勝ち、奥は我妻からタイムリーを打った。泣きながら砂をかき集める我妻の丸まった背中を、今でも思い出すことができる。
我妻も奥のことをおぼえていた。奥は2位、我妻は4位だったが、偶然にも同じチームに入団することになった。我妻はなにかというと奥を頼り、奥も悪い気はせず、人見知りで口数もすくない我妻に積極的に声を掛けていた。
先にレギュラーの座を獲得したのは奥のほうだったが、プロになってから変化球をおぼえた我妻はめきめきと腕を上げた。プロ初登板で6回を1失点に抑え、2度目の先発出場では三振の山を築いて完投勝利を収めた。その後もすくないチャンスを確実にものにした我妻はあっという間に先発ローテーションに名を連ねるようになった。
1シーズンもたたない間に、同期のふたりの立場は逆転した。甲子園のヒーローだった奥幸成の名前をおぼえているものはなく、反対に、我妻は一躍エース候補に名乗りを上げた。端整なルックスも手伝って、テレビや雑誌にも頻繁に登場するようになり、たちまち野球少年たちの憧れの的となった。
最後のバッターの打球は当たりこそよかったものの、セカンドライナーにとどまり、9回裏が終了した。
帽子を被りなおし、ベンチを出ようとする奥を、コーチの大滝が呼び止めた。視線はあわない。どんな話をされるのか、そのときすでに、奥にはわかっていた。
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